1937年のセンテンツスプリング
FirstUPDATE2016.9.23
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こないだ古本屋で、実に奇妙な本を見つけましてね、ぜんぜんこんな本の存在なんて知らなかった。で、その本のタイトルは「昭和十二年の「週刊文春」」というね。

え?これの何が奇妙なんだって?いやメチャクチャ奇妙ですよ。
週刊文春が創刊したのは1959年。ということはつまり、書籍のタイトルにある<昭和十ニ年>=1937年には週刊文春なんて影も形もなかったわけです。
戦前の時点での週刊誌は週刊朝日とサンデー毎日くらいで、週刊誌ブームは1950年代後半に入ってからのことです。この週刊誌ブームの一翼を担ったのが週刊文春の創刊なわけですが、どう考えても<昭和十ニ年>と週刊文春は結びつかない。
もちろん文藝春秋という出版社は存在していました。昔のことに詳しい方なら、1923年に菊池寛によって創業された、というようなことはご存知でしょう。

文藝春秋が最初に創刊した雑誌は今も続く月刊誌の「文藝春秋」。そして本丸といえる文藝春秋以外にも、いくつかの雑誌を手がけていました。
とくに1933年に創刊された「話」は、どちらかというと硬派雑誌だった「文藝春秋」とは違い、今でいえばかなりゴシップ誌に近いものでした。
「話」は1940年で休刊しますが、「現地報告」という同じく文藝春秋から発行されていた雑誌と合併するような形で1943年まで続刊されています。
で、この「昭和十二年の「週刊文春」」という本、早い話が「話」という雑誌を週刊文春の先駆的な雑誌だと見立てて構成されている。つまり本に掲載されている記事はすべて「話」からの復刻なんですね。

だったら「昭和十二年の「話」」ってタイトルでもいいんだろうけど、これじゃ「話」というのが雑誌のタイトルってのがわかりづらすぎる。実際このエントリでさえゴチャゴチャになってるわけだし。だから、ちょっと捻って「昭和十二年の「週刊文春」」としたのでしょう。
でもねぇ、いや、わかるんだけどね、インパクトとか考えたらこうするしかないってのは。それでも「話」の休刊から週刊文春の創刊までかなりタイムラグがあるし、いくら同じ出版社から発行されていたとはいえ、いくらゴシップ寄りの多少ゲスい内容って内容が週刊文春との共通点が見られるとはいえ、さすがに強引すぎる。
ま、それでもこの書籍が発行された2007年ならこういう捻り方になるか。ま、もし2016年発行だったら、もうそれは「センテンツスプリング」になっちゃうんだろうけど。

さて書籍の内容です。
記事自体は「1937年(一部1938年を含む)当時の「話」の復刻」だけど、構成は「今の週刊文春に倣ってる」から、最初にグラビアから始まる。もちろんモノクロ。新書だからモノクロなのな当たり前だけど。
で、グラビアページに掲載された美女の数々。メンツは以下の通り。(括弧内の所属は当時)

・轟夕起子(日活)
・霧立のぼる(新興)
・高峰三枝子(松竹大船)
・水戸光子(松竹大船)
・市川春代(東京発声)
他、街で見かけた美女たち

といった具合です。(新興は松竹傘下の新興キネマ。東京発声はのちに東宝に合流)
補足するなら、松竹大船所属のふたり以外は、いずれも後に東宝に「鞍替え」しています。
グラビアったって、水着なんかありませんよ。本来の意味でのグラビアです。
念の為「グラビア」という言葉を説明しておけば、グラビアというのは写真に適した印刷技法のひとつで、転じて写真メインのページをグラビアページ、さらにはグラビアページに載ることを主目的としたアイドルをグラドルなどと呼ぶようになったんです。
だからね、本当はグラビアアイドルなんて言葉、かなり変なんですよ。これではまるで「印刷技法に精通したアイドル」って思われ、るわけがない。

選抜された記事は、かなり面白いものが多い。
とくに『東洋の摩天楼丸ビルの正体』や『デパート中元売出し合戦』、『女ばかりの木賃宿に一泊する』といったルポライトは非常に面白い。
一応補足しておくと、木賃宿というのは最低層向けの「無料」宿泊所のことで、当然「宿」とは名ばかりの劣悪な場所でした。一般に木賃宿は男性用のイメージが強いのですが、ちゃんと女性用も用意されていたのですね。
他にも上原謙と小桜葉子の新婚家庭の内幕を探った記事(スクープ的なものではなく、ほのぼのとしたもの)や、小津安二郎の軽エッセイ、宇野千代によるセキララな恋愛エッセイ(「恋のチャンピオン」という題がふるってる)など、比較的呑気な雰囲気の記事が載っています。

しかし1937年9月号から様相が一変します。
そう、支那事変の起こったからであり、これ以降、当然それ絡みの記事がページを占めるようになっていくのです。
何度も書いてるように、当ブログはイデオロギー的なことは意識的に排除しているので、その辺の話は一括してオミットさせていただきます。

巻末には、1937年1月号から1938年3月号までの表紙と目次が掲載されていますが、「昭和十二年の「週刊文春」」で記事としてはオミットされたものでも、結構読んでみたい記事があります。
たとえば『阪急阪神電鐵争覇戦』とか『日本銀行には幾ら金があるか』(←何と直接的!)とかね。
『民間療法は果たして効くのか座談会』なんて、是非読んでみたいね。というか、この頃から既に民間療法の是非みたいな話があったのか。

とにかくこの「昭和十二年の「週刊文春」」を読んでみると、今の人が週刊文春と聞いて想像するスクープ連発!みたいな感じではないのですが、むしろ記事の隅っこの方にあるドーデモイー記事に週刊文春ぽさを感じます。
たとえば、沢村貞子と亭主(当時)の藤原釜足の、ドーデモイーやりとりが実に軽薄極まる文体で書かれているのは、まさしく週刊文春のノリです。
週刊文春の本当の良さって、そういう軽薄さだと思うんですよ。どうも昨今イメージが変わってきちゃって、ネット界隈では「文春砲」なんて言われてるけど、スクープにかんしては時期によって結構ムラがある。

でも軽薄なノリはずっと不変だもん。そういう意味では、たしかに「話」って雑誌は週刊文春のオリジンかなぁ、と思ってみたり。







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