アタシ自身が見たわけではないことをお断りしておきますが、数年前、本物のヤ○ザに「どの俳優が本物なみに怖いか」というアンケートを行ったテレビ番組があったそうです。
するとダントツで「植木等」と答える人が多かったといいます。
「クレージー大作戦」の劇中で小道具で使われた指名手配のポスターを見てもらえればわかりますが、本当に皆さん人相が悪い。
青島幸男が初めてクレージーの面々を見た時の印象を「ギャングかなんかだと思った」と語ってますが、まああの人相ならそう思われても何ら不思議はないですねぇ。
クレージーの楽屋裏での評判は「大人」かつ「善人」といったものですが、見た目とのギャップも相当あったはずです。
ふつうに飲んでるだけなのに、すごくいい人だと思われる、と八名信夫がいってましたが、それに近いところがあったと思います。
たしかにクレージー映画で、彼らが善人に扮するとあまりおもしろくないんですよ。ところが悪党になると輝く。
初期の無責任ものもそうですし、「クレージー大作戦」(一応義賊団ということになってますが)や「クレージーの大爆発」も悪人だしね。
見た目悪人、内面は善人、という人は悪党役をやるのに向いているのです。見た目的にぴったりなのはもちろん、内面に善人性がないと、たとえ絵空事とはいえ悪事が不快になってしまうから。
よくコメディアンや芸人を評する時に「毒がなくなった」とかいいますが、毒があるないなんて全然関係ないんですよ。
同じことを表現したとしても、若い時は未熟だし、どうしても先鋭的になりがちなだけでね。
それを「毒」といってしまうのは違うんじゃないかと。
クレージーは基本ファミリー向けであり、毒を全面に押し出してもしょうがない。ただやはり「ニン」というものがあると思うのですよ。
悪党がクレージーというグループの「ニン」であり、悪党を演じれば輝くのなら、ファミリー向けであろうがそれを演ずることはごく自然ななりゆきです。
ただ悪党が悪党のまま物語を終えるのか、悪党が途中で善の行為に目覚めるのか、その辺の方向性みたいなのはあるわけで、若い頃は悪党のまま突っ走る物語が最もふさわしいでしょう。
しかしクレージーも妙齢(あんまりいいたくないけど人気降下後)に後者みたいな映画が作られてもよかった気がします。「クレージーのぶちゃむくれ大発見」はそっちの方向を目指したのかもしれないけど、どうも中途半端ですね。
アタシはね、「クレージーの七人の侍」みたいなのをやってほしかったんですよ。
お互い素性を知らない極悪人が結託して村人をだまそうとする。ところが土壇場、山賊の襲来というところになって、全員が善の行為に目覚めて村人のために戦う、みたいなのをね。
もちろん晩年に、ですけどね。逆に若い時にこういう話をやっちゃ駄目なんだけど。
「クレージーの七人の侍」は1970年頃に作られた、みたいな想定で一回シナリオを書いてみようとさえ思ったことがあります。もちろん時代が時代なんで、どことなく学生紛争を想起させるみたいなシークエンスも入れて。というか「勘兵衛=ハナ肇」、「菊千代=植木等」、「勝四郎=谷啓」、「七郎次=犬塚弘」ってのがハマりすぎるんですよ。ま、犬塚弘は七郎次じゃなくて宮口精二がやった久蔵がやりたいだろうけど。ま、「久蔵=石橋エータロー」、「五郎兵衛=安田伸」、「平八=桜井センリ」だよな普通に考えたら。 |
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