写真は雄弁に囁く
FirstUPDATE2016.6.17
@Scribble #Scribble2016 #クリエイティブ #本 #レトロ #福岡 #1950年代 単ページ 写真集 井上孝治 想い出の街 ろうあ者 カメラマン

1960年代、というより昭和30年代という括りの方が通りやすいのですが、この時代の<ケ>を写した写真集は、皆無どころか結構出版されています。

ところがどうも、イマイチ、ピンとこない。アタシの場合、純粋に写真集として楽しむというよりも「資料」としてみている、まァ見る角度が捻くれているのは認めますが、なんだか空気感みたいなのが伝わってこない本が多いのです。
2014年に刊行された「張り込み日記」という写真集が画期的だったのは、今まで味わったことのない、当時の空気感、これが<ケ>なのですが、濃厚に詰め込まれていたからです。
が、もう一冊、どうしようもなく惹きつけられた、昭和30年代を中心とした写真集を持っています。

話は今から20年近く前(現注・1999年頃)に遡ります。
当時アタシは何故か福岡に在住しておったのですが、とにかくね、とある文房具屋さん、ま、いわゆる、何がいわゆるなのかわかりませんが、雑貨屋も兼ねたようなオシャレ系の文房具屋さんに入ったんです。場所はたしかアクロス福岡じゃなかったっけ。
そんな店だからポストカードを置いてあるのは珍しくないんだけど、どういうわけか昭和の光景のポストカードを置いてある。

へぇ、珍しいな、と思って手にとって眺めてみたのですが、これがもう、普通じゃなかった。
といってもエキセントリックという意味ではなく、それどころか素人目にも一見平凡な構図なんです。
しかし写真の中の世界は、見たことがあるようでない世界というのか、昭和の写真だからってことじゃなくてね、なんだかパラレルワールドのような気すらしたんですね。

撮影者は井上孝治、とある。それは購入したポストカードに記載されていたからわかった。
しかし今と違ってスマホからパパッと検索なんて時代じゃなかった。インターネットは存在していたけど、今よりはるかに「大袈裟な」存在だったし。
だから何者なのか、しばらくはわからないままでした。

ところが偶然、書店で「想い出の街」という写真集を発見したのです。もちろん井上孝治氏の写真集。
発行当時はまだ井上孝治氏は存命だったのでご自身で「あとがき」も書かれておられるのですが、このあとがきを読んで初めて井上孝治氏が「ろうあ者」、つまり耳と発声が不自由だったことを知ったのです。

ごくごく簡単に井上孝治氏の経歴を紹介しておきます。
1919年に福岡で生まれた孝治氏は、3歳の時に階段から落ちる事故に遭い、これをきっかけに聴力を失ってしまいます。
しかしそれをハンデとも思わず勉学に励む傍、趣味の写真に熱中、ろう学校、戦争を挟んで、30代半ばにして福岡県春日市に「井上カメラ店」を開業します。

カメラ店を経営しながら数々のコンテストに応募、そして入選を繰り返しますが、コンテスト応募用とは別に、実に「さりげない」日常を写した、いや切り取った写真も膨大にあり、その一部が「想い出の街」という写真集にまとめられた、という次第です。
なお井上孝治氏は写真集発売から4年後の1993年に逝去されています。

経歴をみてもわかる通り、彼はプロのカメラマンだったことは、ただの一度もありません。
ものすごくぞんざいな言い方をするなら、カメラ屋のオヤジが撮った日常スナップじゃねえか、といえなくもないのです。
ただ決定的に「普通と違う」のは、彼がろうあ者だったことです。

勝新太郎が演じた「座頭市」は、主人公が盲目である、というのが作品のキモでした。
視力がない分、他の感性が異様に発達し、という設定はエンターテイメントならではのデフォルメがなされているとはいえ、まったくの与太かといえば違うと思うわけで、だからこそ絶妙なリアリティを持ち得ることができたわけです。
井上氏の場合、聴力がない分、視力が、と書いちゃマズいというかズレるか、とにかく普通の人では視点が及ばないところ、そしてそれは物事の本質だったりするわけですが、それに注視することによって、類を見ない独特の世界観が写真全体に広がっているのです。

「想い出の街」の中で活写されている光景は、子供を写したものが多い。しかしそれはけして大人目線でもなければ、かといって子供目線でもない、ある種の神の目線です。本質の部分だけをズバッと切り取っている感じが凄いのです。
たしかに時代背景は、昭和30年代を中心とした「懐かしい」世界です。だいたい題名からして「想い出」なんて言葉が入っているし。
また福岡という、大都市というには心細いけど、多くの人が行き交う都会である、ということもプラスになっているのは間違いない。

でもこの写真集は、それを超えて見てほしいと思う。
もし昭和にも福岡にも興味がなくても、そこに残されている写真に写されているものは、紛れもなく「人間」なんです。
実は人間が人間を捉えるというのは、メチャクチャ難しいことです。人間を捉えきれず良い作品になり損ねたモノ、写真だけじゃなくて映画でも音楽でも、数限りなく、ある。

井上氏は聴力の代わりに、ほんのちょっとかもしれないけど、神の視点を与えられた人だと思う。だから「難しい」よりも「不可能」に近い、人間を活写することができたんだと思うんですよね。







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