模型に捧げる
FirstUPDATE2016.5.29
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アタシは間違ってもモデラーではありません。あ、もちろんモデルでもない。当たり前じゃん。

つまりは「プラモデラーではない」ってことなんですが、それでもね、いわゆる「ガンプラ」、丁寧に言えば「機動戦士ガンダム」のプラモデルが一大ムーブメントになったのが中学生の頃なので、当然、それなりの数のプラモデルを作ったことはあるわけでね。
もちろんガンプラに限らず、マジでいろいろ作ったな。それこそ戦車とか。何故かアタシはドイツ軍の戦車が好きで、なんてことも、よく憶えていふ。
あ、もちろんイマイの「ロボダッチ」とかも作ったし、もっと変化球で言えば、何故か「がんばれ!!タブチくん!!」のヤスダ(≒ヤクルトスワローズの安田猛)のプラモデルがあったんで、買って作った記憶があります。言っとくけど変化球ってヤスダ=変化球投手ってことじゃないよ!ヤスダ(≠安田猛)は変化球投手じゃなくて<魔球>投手だから!!

話が逸れてしまったけど、とある事情からね、一時期「プラモデルの歴史」のようなものを調べていたことがあって、というかノンフィクション好きのアタシがたまたま、勃興期のプラモデル業界界隈のことを記した書籍を持っていたっつーか読んでいただけなんだけどね。
とくにプラモデルの勃興期のことは井田博著「日本プラモデル興亡史 子供たちの昭和史」を読んだからそれなりにわかる、という。
この本は本当に名著です。仮にプラモデルに興味がない人でも、少しでもミニチュアなどに関心がある人すべてに読んでもらいたい本です。

趣味の模型飛行機作りが高じて自ら模型屋を興した井田博は、やがて「モデル・アート」を創刊するなど、プラモデル業界の発展に多大な貢献をしてきた人です。
この本には、いつくらいから日本でプラモデルが普及しだしたか、そしてその前史である木材や針金を使った模型の発展、さらには模型にたいする日本人の気質まで、本当に模型を愛している人しか書けない「念」のようなものが充満している。そして日本と欧米諸国でプラモデルがまったく違った発展を遂げたことがよくわかります。
素材がプラスチックか否かにかかわらず、欧米諸国での模型とは、あくまで「飾る」ためのものでした。
しかし我が国では、そういうのはウケない。そこで、ここら辺が如何にも日本的なのですが、模型の解釈を「動かして遊ぶ」ためのものとして作り、そして受け入れられたのです。

ゼンマイ式、モーター式、はたまたもっと簡素なゴムを動力に使ったものなどいろいろありますが、何かしらのギミックを備えることで、それを求心力にしてしまった。飾るのではなく遊ぶためのもの。それが日本の模型の歴史といっていいかもしれません。
もちろん情景模型としての発展(これは最初タミヤが提案したものらしい。当然情景模型自体はもっと昔からあるが、最終的に「写真に撮る」ことを主眼にしたのはタミヤとのこと)もあるんだけど、ガンプラブーム以降だってミニ四駆という「動かして遊ぶ」日本流模型の原点に立ち返ったような製品がバカ売れしたりする。

文庫本の方には井田博と当時のタミヤ社長(現会長)との対談が掲載されているのですが、ここで井田博が実に面白いことを発言しています。
何故日本では「動くもの」がウケるのかという話になって、タミヤ社長が「動かないものを好む」欧米はミニチュアの思想があるという言葉を受けた井田博が、日本はカラクリ人形の世界だ、と。
そういえば現代版カラクリ人形といえるムットーニ氏の作品は日本でも高い評価を受けていますが、ここはかなり深く考察する必要があると思う。
日本人にとって「動くもの」と「動かないもの」の感じ方の差異、はプラモデラーを含めたミニチュア系の作品を作る人にとって無視できないと思うのですが、そういうことを気づかせてくれただけでもこの本には価値がある。
残念ながら井田博は文庫本のあとがきを書き終えた年に逝去されましたが、もし生きておられたら、絶対にお話しをうかがいたかった。

模型に人生を捧げてきた彼だからこそ、もしお話しできていれば、根幹の部分の示唆をいただけたような気がするのです。







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