アタシはいわゆる課金ガチャってのをやったことがないので、もしかしたら物凄くマトハズレかもしれないんですが。
ファミコンの頃のゲームソフトといえば、もう買って帰って遊んでみるまで面白いかどうかなんてわかんなかったわけです。
当然どうしようもないソフトをつかまされて泣きをみる、なんてことは日常茶飯事だった。だって小学生なら小遣いひと月分に相当する値段なんだから。
そうした泣きをみないために、一番手堅いのは「信頼できるメーカーの、名作の続編」に絞るしかなかった。
当時のゲーム業界の風潮を、スチャダラパーは「ゲームボーイズ」の中で「ヒット作続編とかばっか」と揶揄ってますが、それはしょうがないよ。メーカー側ばかりの責任じゃなくて買う側のリスク回避の問題が大きいんだから。
たとえどれだけ意欲作で、仮にすこぶる完成度が高いゲームだったとしても、まったく聞いたこともないメーカーのゲームとか買うか?
アタシもすでに大人になりかけの年齢だったし、スチャダラも似たようなもんだけど、それくらいのトシだったらいいですよ。
でも小学生はそういうわけにはいかない。だって小遣いひと月分ですよ。そんなチャレンジャーな子供がどれだけいるのかって話です。
大人ならさ、みうらじゅんじゃないけど自らをクソゲーコレクターだと思い込んで自分を納得させたりも出来るかもしれないけど、子供にそれを求めるのは酷すぎます。
この手の話はファミコン以前からあって、レコードなんてずっとそうだった。
このレコードが欲しい、ま、指名買いですね、それでは飽き足らないマニアは「ジャケ買い」なんてとんでもないことをやっていたんです。
試聴とか出来ない場合なんか、もうジャケットだけで買うレコードを決めていた、そんな時代もあったわけで。
そんなことが出来るのは、ある程度カネの自由が利く大人だけですよね。
さて、課金ガチャの話に戻ります。
これさ、社会問題化してるけど、こんなもん解決する方法なんか簡単ですよね。
「課金の上限を決める」
これだけでいい。んでダウンロード時に課金の上限をちゃんと明示しておく。それだけで問題になりようがないと思うんです。
結局課金ガチャが問題なのは、課金が無尽蔵に行えるってことだと思うわけで、課金可能額が最高でも普通のゲームソフトくらい(5000~10000円)なら、ま、そりゃ遊びつくそうと思えばそれくらいするわな、と納得できるはずなんです。
それをしないっては、管理する側(AppleやGoogle)にメリット、つまり儲かるからやらないってことでしかないと思うんです。
でもさ、そーゆービジネスのやり方はいずれ破綻すると思うんだけどね。
以前も書いたように、アタシは課金にたいしてそこまで否定的ではないのです。始まりは「時間をカネで買う」ってところだと思ってるし。
それに違った意味でメリットも大きいと思う。
さっき書いたように、ファミコン時代はぜんぜん知らないメーカーの知らないゲームを買うことのリスクが大きすぎた。
それが徐々に変わってきたのは、プレステ時代に入ってからです。
プレステはソフトの供給メディアがCDだったから、雑誌の付録なんかに「お試し版」を同梱することが出来た。おかげで一切内容も操作性もわからないソフトを買わされる、なんてことが激減しました。
と同時に「ぜんぜん知らないメーカーの知らないゲームだけど、お試しで遊んでみたら面白かったから、買うか」みたいなことも増えたと思う。
(ゲームマニアでないアタシはこのお試し版のおかげで「ワールドネバーランド」の面白さを知ったんだよね。開発元のリバーヒルソフトはパソコン時代からお馴染みだったけど、あまり興味のないメーカーだった)
これで大手メーカーと弱小メーカーが初めて同じ土俵に立てたと思うんです。
アタシは無課金状態のゲームはお試し版と同じだと思ってるんですよ。
そりゃね、大手と弱小が完璧に同じ土俵かといえば、違いますよ。製作費はもちろん、宣伝にかけられる予算が段違いだし。これだけアプリの数が多いと、まず存在を知ってもらうのが難しいってのはわかる。
それでも、存在を認識して以降は同じです。大手だろうが弱小だろうが0円スタートまでは一緒。あとは「このゲームを続けたい」と思わせられるかどうか、つまりは中身勝負になるわけです。
そういった意味でね、メーカーの大小、続編か否かといったプラス要素がゼロに近くなるって意味で、かなり平等に近い。
平等に近ければ近いほど、「ヒット作続編とかばっか」みたいな状況になりづらいはずです。それこそスチャダラパーがいうような「クリエイティブ」な業界に戻れる可能性があると。
せっかくさ、無償でゲームを配布できて、メーカーの大小問わず内容如何で儲かる状況にあるんだから、一刻も早く「課金ゲー=銭ゲバ」みたいなイメージを払拭しなきゃいけないはずなんだけどな。
やり方も「課金の上限を決める」という、何とも簡素な方法でいいんだから。