じ‐すい【自炊】
[名](スル)
1 自分で食事をつくること。「外食をせずに自炊する」「自炊生活」
2 手持ちの書籍や雑誌を裁断・解体し、各ページをイメージスキャナーで読み取り、電子書籍化すること。
(デジタル大辞泉より)
えと、アタシも大概ひとり暮らしが長いので、そこそこ、本当にそこそこ程度ですが料理は出来ます。と言ってもヒトに食わせるようなシロモノが作れるわけでなく、あくまで自分が食えたらそれでいいレベルですが。
しかし今回はその<自炊>のことを書きたいわけではない。
最初の引用に従うなら、<1>ではなく<2>の方の話をしたいと、ね。
それにしても、何で『手持ちの書籍や雑誌を裁断・解体し、各ページをイメージスキャナーで読み取り、電子書籍化する』のを<自炊>って言うんだろ。Wikipediaによれば「自ら吸いだす」ってことみたいだけど、あれ、吸いだすって感じじゃないっしょ。そもそもそれじゃ<自炊>じゃなくて<自吸>じゃん。ねぇ。
そんなことは露ほどどうでもいい。
これ、結構誤解されてることなんだけど、アタシは間違っても読書家ではないんです。
何たって小説なんてほとんど読んだことがない。名だたる文豪の作品も、近年流行りのものも、一切合切まとめてまるで興味がないんです。
どう言えばいいのか、フィクションという娯楽は映画(とほとんど読まなくなったとはいえ漫画)で満たされているんですよ。そこは小説には求めてないっつーか、まだ見てない手持ちの映画とか山ほどあるのに小説にまで手を出す余裕がないというか。
たしかにね、本は大好きなんですよ。冗談じゃなく今まで何千冊レベルで買ってる。
でもアタシが読むのはノンフィクションの類いだけ。それでもノンフィクションはわりと何でも読む方だからね、知らずしらずのうちに、ものすごい量の本が溜まっていくっていう寸法でして。
そりゃあね、アタシが唸るほどカネを持っていて、無限に本棚が置けるような邸宅に住んでいれば、本なんて少々溜まろうが問題ないですよ。でも残念ながらそうではない。つか引っ越しの時も一番大変なのが本の運搬てな具合でして。
何とか本の数を減らしたい。しかし廃品回収に処分する気も売っ払う気もない。いくらブックオフの100円コーナーで買おうとも、買った時点でその本はアタシの財産ですから。
そんな時、自炊なんて<やり方>があるのを知った。たしか2011年くらいのことだったと思います。
ふむふむ、本をまるごとスキャンしてPDFなりに固めて<データ化>するわけか。たしかにこれなら物理的なスペースは一切圧迫しない。ハードディスクは圧迫するかもしれないけど、たかがしれてる。どう考えても一冊1GBもいかないだろうし。
ところが実際にやろうとなると問題山積みで、電子書籍化させる工程以前に、まずはそもそも電子書籍化したところで読むのに適した端末を持ってなかったんです。
2011年と言えばちょうどiPhone4を手に入れた頃だったけど、iPhone4の画面サイズは3.5インチです。他のスマホもそんなもんだったから当時は別に「小さい画面だなぁ」とは思わなかったけど、スキャンした書籍を読むにはあまりにも文字が小さすぎる。
自炊したのではない、例えばKindleのような(実際はKindleではなかったはずですが)電子書籍を購入して試したりもしたのですが、これでさえ読みづらい。こちらは自炊したものと違い文字サイズを変えられたりも出来るわけです。つまり「文字が小さすぎて読みづらい」のではない。
何というか、液晶モニタで本を読む行為自体がね、あまりにも馴染まなさすぎたのです。文字を追ってるだけなんだから、理屈で考えたらWebサイトを見てるのと変わらないはずなんですよ。なのにぜんぜん違う。
これは無理だよ。やっぱアタシってヤツは所詮旧式の人間なんだ。電子書籍なんていう時代の最先端に馴染めるワケがないわ、と。
しかし切羽詰まる事情が旧式の人間だなんだという言い訳を許してくれなかった。それくらい本の置き場に苦慮していたわけで。
こうなってはしょうがない。読むに適した端末問題は後回しにして、とにかく自炊が出来る環境を整えてやろうと。
自炊の手順を簡単に説明しておきます。
基本的に3つの段階が必要で、まずひとつ目が<断裁>という作業。本というのは綴じられた、つまりは製本してあるわけですが、この状態ではスキャニングが難しいので背表紙を切り落としてやる。つまり書籍から「数百枚の紙」の状態に戻してやるわけです。
次がスキャニング。そりゃあフラットベッドスキャナでも出来ないことはありませんが、通常の場合自炊には「ドキュメントスキャナ」というね、自動で紙送りが出来て両面スキャン出来る機械を使用します。
最後はパソコン上での作業で、スキャンした画像の画質を調整し、PDFなりに固めてやる、と。
こう書けば何となーくは理解出来ると思うけど、意外と初期投資が必要なんですな。
それでもアタシは極力カネをかけたくなかった。
だってさ、これで絶対イケる!とわかって始めるわけじゃないんですよ。果たして電子書籍化が上手くいくのかどうか、手持ちの本をすべて自炊するのにどれくらい時間がかかるのか、んで自炊したはいいものの、良い「読む手立て」があるのか、またそれに馴染めるのか、何も読めないっつーか手探りで始めるわけでね。リスクがありすぎるんだからケチって当然でしょう。
断裁はロータリーカッター、ドキュメントスキャナはScanSnap S1300という、ま、この機種で本式にやってる人はいないクラスのを買ってね、つまり相当割り切った形で自炊生活をスタートさせたのです。
結論から言えば、わりと問題なくすべての工程が出来た。その後大画面のスマホに買い替えたりして読む環境も整えたし、これでイケるという確証も得たので、その後は断裁はカールの簡易断裁機に、ドキュメントスキャナはキヤノンのC225Wにランクアップさせました。
実際に自炊を始めたのが2012年。もう相当月日が経ってるので、手持ちの膨大な書籍は「これは自炊しない」と決めたもの以外はすべて完了している。
また「液晶モニタで本を読む」ってのも完全に慣れた。つか今では自炊した状態でないと読む気が起こらないくらいでして。
自炊を始めた頃を思い出してみると、一番の<壁>だったのは作業的なことではなく心理的な問題でした。
やっぱり、どうしても最初は「本を切り刻む」という行為にたいして抵抗があるんですよ。
本に落書きをするだけでも、いや落書きじゃないけどマーカーで線を引くのさえ気持ち的に出来ない人間なのに、切り刻むなんて、こんなこと本当にやってよいのだろうか、と。
そうは言っても「もし自炊を断行しなければ捨てるしかない」のです。だからもう最初は、心を鬼にしてさ、出来るだけ淡々と遂行した。
あれですよ。銀河鉄道999と一緒ですよ。生身の身体ではなくなったけど機械の身体を手に入れた、と。ぜんぜん違うけど。
そして自炊を進めることによって、自分の中で漠然とあった「本の仕分け」が明確になった。
やっぱね、本当に大切な、もしくは貴重な本は自炊しようとは思わないですよ。そーゆーのはリアル書籍として取っておきたい。ま、実際にやってみるとそこまで思える本はたいしてなくて、あとはリアル書籍の形じゃなくてもいいから所有さえしていればオッケーなものばかりだったんです。
アタシってヤツがつくづくダメな人間だと思うのは、自炊を始めたら以前にもまして本を買うようになってしまった。というのも単に本の置き場が不要というだけでなく、思わぬ効用があったんですよ。
誰でもだと思うけど、購入する時点で「中身は読んでみたいけど本としての価値は皆無」なのがわかって買うケースは結構あると思います。
アタシはブックオフに行くのが趣味みたいなものなんですが、もう「買ってすぐ自炊する」という前提で購入するんです。
古本だから当たり前だけど、コンディションが良くない方が普通です。表紙がボロボロだったり、紙が赤茶けていたり、購入前には気づかないけど、鼻を近づけて読み耽ると、うーん、どうも、ニオうな、みたいなこともわりとある。
昔は古本を買う時はもっと慎重でしたよ。最低でも電車で広げてもみっともなくないものしか買わないでおこう、みたいな。
でも<自炊>という手段を用いているおかげで、その辺もほとんど気にせず買えるようになった。表紙がボロボロでも紙が赤茶けていても、仮にケッコウなニオイを発してようと電子書籍になったら全部関係なくなる。
だからブックオフ通いが余計に止められなくなっちゃったわけでして。
一方、これはどんなことがあっても自炊しない、と決めて購入するケースだってある。
さすがにそーゆーのはね、ブックオフでは扱っていない。となるとどこで購入するか。
ネットオークション?ああ、でも、あれは極力使わないようにしてるんだよね。ピンポイントでどうしても欲しい時だけにしか使わない。だってそれ以上広がらないもん。
やっぱそんな時は、そう、神保町ですよ。
もう神保町は大好きな街で、住んでもいいとさえ思っている。あそこはね、たしかにいろいろ希少な本を扱っている店がいろいろあるんだけど、それよりも空気感が好きなんです。
何しろ神保町であれば、いくらマニアックでも許される、みたいな空気がある。つまりアタシのような偏屈な人間も堂々と闊歩出来る。だからものすごく居心地がいいんです。
ただし、ひとつだけ欠点がある。これはアタシだけかもしれないけど、どうも神保町をウロウロしていると便意がもよおされるんですよ。
いやアタシだけではないんだろうな。だってちゃんとそーゆー現象にたいして「青木まりこ現象」なんて名称まであるくらいだから。
青木まりこ現象。知ってる人は知ってる、知らない人は知らない。当たり前ですが、知ってる方には「わりと頭に浮かぶ言葉」だと思うんですね。
ものすごくかいつまんで説明するなら、「書店に行くと、何故か便意をもよおす」という摩訶不思議な現象のことです。
何故それが「青木まりこ」なんだ?って方は、Wikipediaでも参照してください。青木まりこ現象の詳細と言葉の起こりがわかります。
Wikipediaを読んでいただけるとわかる通り、いまだに原因究明はなされていない。書店に行くと便意をもよおす、なんてイグノーベル賞にピッタリの題材っぽいのに。
原因がわからないからこそ様々な仮説が立てられていますが、ま、プレッシャー説とかいろいろあるけど、個人的にはやっぱ「紙とインクのニオい説」は捨てきれないのです。
当たり前だけど新品本より古本の方がより紙とインクのニオイがキツい。アタシの知ってる人で古書店が苦手だという人がいて、あのニオイが苦手だという。
自分は平気だけど、これはなんとなく理解できます。やっぱり独特のニオイだからね。
いや完全に平気かといえば、大丈夫ってレベルで、ニオイなんかない方がいいに決まってるわけで。(ただし<青木まりこ>氏本人は「現象が起こるのは普通の本屋だけで、古本屋では一度も便意におそわれたことはない」らしい)
さてさて、この駄文は途中まで長々と自炊について書いてきましたが、自炊、いや自炊に限らず電子書籍全般に言えることなんだけど、アタシは電子書籍は青木まりこ現象を解明するヒントになるのではないか、と睨んでおりまして。
もし街の本屋がリアル書籍の取り扱いを止めてしまって、すべて電子書籍になったとしたら、もしかしたら青木まりこ現象は起こらないかもしれないなと。
当然すぎますが、電子書籍にはニオイはない。機械臭は皆無ではないかもしれないけど、少なくとも紙とインクのニオイはまったくありません。
つまり電子書籍化が進めば進むほど、青木まりこ現象が解明できる、かはわからないとしても、仮説のひとつは潰れるんじゃないかとね。
仮説が潰れる仮説って何か変だな。まあいいか。