ここでも何度か書いているように、いやアタシだけではなく幾万の人が指摘しているように、黒澤明の作品は本当に台詞が聴き取りづらい。
ほとんどの黒澤作品では、時代劇であっても現代に近い言葉でダイアログが書かれているのですが、そもそも台詞のツブが立ってないので、何を言ってるかよくわからないのです。
本質的に明瞭に喋る役者の場合は問題ないのですが、明瞭でない役者にも極力自然に喋らせているので、結果として聴き取れない、なんてことになってしまう。
ところが最近リマスターされた黒澤映画は以前劇場で公開されたものよりもかなり台詞が聴き取りやすくなっているのです。
完全にゴニョゴニョ感が消えるわけではないんだけど(んなもん再アフレコでもしない限り無理)、細かいノイズが消えたり、他もいろいろ調整が施してあって、かなりラクに聴ける。
しかしこれ、良いことなのか悪いことなのか、結構微妙だと思うんですよね。
かなりしつこく書いてるように、アタシは今戦前戦中の文化を調べまくっています。
当然レコードや映画も含まれるのですが、ま、ややこしくなるのでレコードに限定して話を進めます。
当時のレコードはいわゆるSPというやつで、ほぼLP(アルバム)盤サイズですが、EP(シングル)程度の収録時間しかありません。つまり物凄く速くレコードが回転するわけです。
SP、というと、異様なほどのチリチリノイズを思い浮かべる方も多いでしょうが、これには理由があります。
まず原盤が残っていない場合が多い。何しろ古いですからね。戦争で焼けたり、ま、いろいろあった。もちろん中には異様に良い音質のものもありますが、これは原盤が残っていたことに合わせて原盤自体がテープだった場合です。
となるとレコード盤から直にマスターを作ることになるのですが、何しろSPは傷がつきやすい。おまけに割れやすい。つまり状態の良い盤がない場合も多いんです。
最近は、もちろん出来る場合のみですが、複数の盤を用意して、まともな音質の箇所をデジタルで繋ぎあわせる、という「やり方」が一般的のようです。だから以前よりマシな音質(バチバチ音が連続しないなど)のCDが発売されるようになりました。
これね、ではデジタルの威力でもっとクリアにならないかって話なんですが、ある程度はなるんです。
でもそこまではやらないのが一般的です。
ノイズというものは完全に消すことはできないまでも、上手くリマスターしてやることで目立たなくすることは出来る。
いや、もっといえば、音質を犠牲にさえすれば、いくらでもノイズは消せます。
たいした機材なんかなくても、逆相をかけてやるだけである程度消えるし、そこまでしなくてもイコライザーだけでも相当薄くは出来る。
ま、やってみればわかりますが、完全にノイズを消したSP原盤の楽曲なんて聴いていられない。下手なやり方をしたら音楽でもなんでもなくなって、ただロボットが遠くでウヤウヤ言ってるだけにすら聴こえてしまうのです。
難しいのは、レコードってノイズ込みの音楽なのです。
前にも書いたように、レコードとは単に音楽鑑賞として存在するわけではなく「時代の缶詰」としての役割もある。
そりゃね、完全無欠の原盤が見つかって、つまりレコード盤から修復なんて一切やらなくてもいい、そんな音源があるのならそっちを優先しますよ。
でも原盤がない場合、聴き慣れていない人には相当苦痛と思われるレベルのノイズが載っているのが当然です。
となると下手にノイズをガシガシ取り除いて「時代の缶詰」の要素をなくすより、せいぜい「なるべく良いレコードを音源として使う」程度で止めておいた方がいい。
アタシはハイレゾ音源を否定してるんじゃないですよ。あれはあれで素晴らしい。
ただ、これはピュアオーディオに繋がる話かもしれませんが、あんまり音源にたいして「潔癖」になるべきではないと思う。潔癖であればあるほど聴ける音楽の幅が狭まると思うし。
クリアな音質だったらそれでいい、音楽ってそういうもんじゃないんだから。空気だったりノイズだったりは、けして後付けでやるもんじゃないけど、無理矢理消すもんでもない。
もう、アタシなんか、トシをとってきて、いい塩梅に耳が劣化してるからかえってありがたいとさえ思う。音質の良し悪しよりも空気やノイズの方が大事だと思えるから。とはいえ、あまりにもバチバチ音ばっかりの楽曲も辛いんだけどね。
なんか、昔のSP原盤の楽曲を収録する場合は常にCD2枚組にして欲しいなぁとは思う。ひとつは原盤ほぼそのまま、もう一枚は徹底的にノイズを取り除いたもの、みたいな。
無理だろうな。んなことしてたら商売になるわけないか。