たぶんね、子供騙し、なんて言葉を使う人は「大人は騙されない」とでも思ってるんでしょうね。
騙されるようなヤツは精神的に子供なんだ
だから詐欺やなんやに引っかかる
大人ならそんなもんな引っかからない
みたいな、というか。
このような決めつけは、もちろん暴論です。でもそこまで外れてるとはいえないとも思っているわけで。
アタシはこう思うのです。
むしろ大人の方が騙しやすい、と。
大人になればなるほど経験や知識が増えます。つまり本当は引き出しがいっぱいあるってことになる。即座に適切な引き出しを開けることができればいいですよ。だけれども実際は脳が硬くなってきてるからそれができない。
経験や知識はいっぱいあるはずなのに、強烈な成功体験や失敗体験に引き摺られて、いつも似たような結論を出してしまう。
いくら柔軟に柔軟に、と思っていても、でもこんなことしたらリスクが・・・とか考えちゃう。
だいたい「リスク」なんて考える時点で柔軟な発想ができるわけないのです。
リスクを考えているなら、単純な詐欺みたいなね、いわゆるカネが絡んだことには強そうなんだけど、大抵詐欺話なんて「そんなこと聞いたこともない」みたいなネタを持ってくる。つまり経験のないことを突きつけられるのです。
経験や知識がないことに直面すると、途端に思考が停止する。するとどうなるか。「お任せします」ってことになりやすい。
自分には経験も知識もない。でも相手は経験も知識もありそうだ。だったら、ということです。
変な表現だけど、経験知識至上主義、とでもいうのかね。
子供はこんなことはないんです。まず経験も知識も皆無に違い。だからそんなものには頼らず己の感覚だけで物事を判断する。
そんなんだから誘拐とか起きるんだ、と思われるかもしれませんが、実行頻度はともかく誘拐と詐欺とどっちが多いと思います?つまりどっちの方が騙されやすいと思いますか?
以上、これは詭弁です。論理に不都合なところをオミットして都合のいいことばかりを書いている。
もしこの文章を読んで「ああ、そうか」と思った人は騙されやすい、かもね。
それでもね、やっぱ、どう考えても子供より大人の方が「その気にさせやすい」と思うんですよ。
子供を「その気」にさせるのは大変です。「ウンコとか言ってれば笑うだろ」「死ぬ話をすれば泣くだろ」とかそんな簡単なもんじゃない。それは典型的な、実際に子供と遊んだことがない人の発想です。
とにかく子供ってのは、なかなかこちらのペースにハマってくれない。相手が大人なら「こういうことをすれば喜ばれるぞ」ってのを測るのは比較的簡単だけど、子供は「あれ?これを喜ばないの?んな馬鹿な」みたいなことばっかりです。
逆に「え?え?何でそこにそこまで食らいつくの?何でそんな喜んでるの?」みたいなことも頻発する。
とにかく脳ミソをフル回転させなきゃいけない。だから疲れる。んで疲れ果てて、もうこれでいいや、と投げやりにやったことに異様に喜んだりする。
そんなもんです。理屈で考えてってのが通じない、それが子供なんだから。
これ、エンターテイメントなら余計そうだと思うんですよ。
「子供騙し」ってのは稚拙なフィクションに用いられることが多いけど、実際自分が「本当に子供が喜ぶ」フィクションを作るとなったら想像を絶するくらい難しい。
だって、こうすれば笑う、こうすれば泣く、みたいなね、計算が成り立たないんだから。目の前にいる子供にすら通用しないのに、メディアを通して、つまり空気感が一切わからない不特定多数の子供を楽しませる、なんて、あまりにも難易度が高すぎます。
だから子供向けのフィクションを作ってる人は本当に凄い。
計算でなんとかしようなんていう「大人」には到底不可能で、天才とかそんなことじゃなくて、作者自身が子供、いや正確には「経験も知識も技術もあるけど、中身は子供そのもの」でないと不可能なんじゃないかと。
これが完全にひとりでできる作業ならともかく、大人数でしか作れないモノ、たとえば映画とかね、そういう場合、作り手(映画なら監督)はともかく周りのスタッフは大変なはずです。何しろ最高権力者が「子供」なんだから。
もちろん、嫌ってほど振り回されるでしょう。でもそれが嫌でトップを「大人」に変えたら、理に落ちた、つまんない、要は子供が喜ばないものになるに決まってる。
でも本当に「子供相手の商売」を考えるなら、いくら理不尽でも、そこは堪えるしかない。
大人を騙すものなんて、作る方も簡単でラク。反対に子供を騙すものなんて、作る方は地獄だといっていい。
これでも「子供騙し=安手の安易に作られたモノ」と思いますか?
↑ま、これもかなり詭弁が入ってますがね。