家族のようなチーム
FirstUPDATE2016.1.4
@Scribble #Scribble2016 #プロ野球2016年 単ページ 福留孝介 金本知憲 阪神タイガース

「ヤキウ」新年一発目は新年らしく家族の話です。

福留は「ずっと家族のようなチームで優勝したいと願っていた」といいますし、金本新監督も「選手は家族だと思っている」と発言している。
核家族がどーとかとすら言われない時代に、これらの発言がどういう意味を持つのか、ちょっと考えてみます。
まず家族とはどういうものか、から考えなきゃいけないと思うのですが、アタシが思うに「遠慮したら負け」の関係なんじゃないかと。

もちろん家族とはいえ遠慮は付き物です。それこそみんながみんな、無遠慮に行動してたら無茶苦茶になる。
たしかに遠慮したら「負け」なんだけど、意図的に「負け」た方がいい時も多い。つまり余計な勝負はしないっつー。
自らの意思で「負け」にいけるってのも、家族という関係性ならではだと思うわけでね。
同時に赤の他人さんでは絶対に言えないことをいえるのも家族だと思うんです。
本当に痛いところを突くようなことも、時には必要で、でも相手が常に勝ちにくる関係だったらいえない。喧嘩になるから。
わりとキツめのことをいっても、言われた側は「負け」にきてくれる。そういった信頼関係があるのも家族なんじゃないかと。

ではプロ野球のチームで「家族のような」とはどんなチームか、ですが。
いうまでもありませんが、プロ野球選手というのは個人事業主です。球団とは雇用関係ではなく、あくまで契約によって球団に所属する、という形をとっている。
そんな形態で「家族のような」チームが可能なのか、です。
チームを家族に例えるならオヤジは監督ということになると思うのですが、監督が選手を雇っているわけじゃない。契約しているのはあくまで球団であり、監督すら球団との契約で監督という役割を任されているだけに過ぎない。これじゃオヤジというよりはチーママです。
だから家族といっても限りなく擬似家族に近い。お互い、何らかの事情で、たまたまひとつ屋根の下に住むことになった、血のつながりも何もない人間たち。当然その関係は未来永劫に続くわけではなく、体内のように新陳代謝を繰り返す。
それがプロ野球選手にとっての家族、つまりチームです。

それでも福留も金本も、あえて「家族」という言葉を使った。
それは「遠慮したら負け」という関係性を築くことこそチームにとってプラスになると考えているからなんじゃないかと思うのです。
福留がセンターを守る江越に何度も何度も試合中にアドバイスする姿がテレビカメラに抜かれました。ああいうのも、遠慮してたら出来ないと思うんです。
また福留は藤浪にも繰り返しアドバイスを送っていたことを藤浪自身が打ち明けています。それこそ野手が投手へアドバイスを送ることは、普通は出来ない。ましてや「自分はあくまで今の時点でこのチームとの契約があるだけ」なんて考えなら、単に「余計なこと」なんです。
それでも福留はアドバイスを送り続けた。それは福留自身が「擬似だろうがなんだろうが、チームメイトは家族なんだ」という強い意思があればこそ、だと思うわけで。

金本もおそらく同じ考え方だと思います。
ましてや金本は監督なんだから、時にはキツいことを言わなきゃいけない。でもそこに遠慮があれば、やはり言えないでしょう。
「遠慮はしないよ。何故ならお前らは家族なんだから」というね。同時に時にはわざと選手に「負け」てやることも必要、というのもわかってるはずです。
というか、家族と思ってないと、選手に厳しくなんて出来ないですよ。お客さん扱いだったり、自分も契約関係なんだから選手と同等、なんて思ってたら、本当、何も言えなくなる。
厳しく当たるには、家族のような関係になるしかない。もちろん本当の家族同様、深い愛情を持って選手と接していかなきゃいけないんだけどね。それがないとただ厳しいだけになるから選手もついてこない。

たぶん金本のいう、監督になるための「覚悟」とは、平等に選手へ愛情を注げるか、への覚悟だったんじゃないでしょうか。
もちろんプロの集団なんだから、扱いには差をつける。あえてレギュラーを名指ししたこともそうだし、江越が伸びるとなったら江越を重用する。当たり前です。
扱いは不平等でも愛情は平等。これは非常に難しいことです。いくら愛情は平等でも、やはり不平不満が出てくる可能性もある。それでメシを食っていかなきゃいけない選手からすれば当然です。
それを解消するには「実績を加味した上での完全競争」にするしかない。

レギュラーとして名指しされた選手も、あくまで「来期開幕時点での」レギュラーであり、年間通しての起用は約束されていない。
アタシはそれが正解だと思う。実績の加味は「開幕時点でのレギュラー」ってだけで十分です。某前監督みたいに「若手にチャンスをやらず、実績があるってだけで、どれだけ調子が悪くても調子が上がるのを待ち続ける」ってのは間違っている。そこまでやったら不平等感が芽生えないわけがない。

「鳥谷や藤浪も家族だけど、育成枠の選手も家族」なんです。鳥谷や藤浪にはキツいノルマを提示しつつ、育成枠の原口や一二三には「使えるようになったら使うよ」というエクスキュースを「自らの口で」彼らに伝える。(いうちゃナンだけど、某前監督は「選手を大人扱いする(=厳しいことをいって嫌われたくない)」ってのがミエミエだったもんな)
選手もぬるま湯に甘えるわけにはいかない。枠は決まってるんだから。より「愛情」が欲しいとなったら、自身の能力を上げて枠に入っていくしかない。

家族というと、どうしてもユルユルの関係性が浮かぶけど、ある意味赤の他人さんの集団より厳しい。ナメたことしてたら他の兄弟に抜かれるんだから。







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