たしか小沢昭一だったと思うのですが、金八先生他の武田鉄矢の演技をホメた後「あれは本職が役者でないからこその演技。我々役者にはあれは出来ない」と。
肝心の発した人の名前があやふやなのは問題大アリですが(ま、ブログなんで。本ならもっとちゃんと調べるけど)、名優・小沢昭一の発言なら非常に納得できます。
本職としての役者は、何というか、もっと変幻自在で、型にハマることもハマらないことも出来る。が、武田鉄矢をはじめとしたミュージシャンや芸人の場合、常に「ほんの少し型からはみ出た」ところの演技をする。というかそれしか出来ない。
もちろん演技の巧拙は人によるのですが、巧かろうが下手だろうが、役への距離感は常に一定なことしか出来ない、と思うわけで。
でもそれが悪いってことじゃない。正直ね、映画だろうがドラマだろうが芝居だろうが、全員が全員本職の役者で揃えると、どうにも気持ち悪い、は言い過ぎにしても、煮詰まったような空気になってしまう。
そこに本職以外の人が入ることによって、何となく全体のバランスが良くなるし、アタシが思うに、主演クラスを本職以外がやって全体を引っ張って、本職が周りを固めまくるってのが一番「良いフィクション」が生まれるような気がするんです。
昨今、某EXILEの某氏主演のドラマがね、あまりの某氏の演技力に話題になったりしました。このドラマを5分だけ見たという友人が「歩いてる演技がすでに棒<読み>だった」という名言を吐いたくらいです。
しかしこれは某氏の演技力の問題であって、方向性としては間違ってないと思うんですね。つまり幅の狭い演技しか出来ない、でも他ジャンルで実績を残した華のある人を主演に据えて、脇を芸達者で固める、という。
それにしても、某氏の演技は問題外ですが。
もうちょっとちゃんと演技が出来る、でも本職以外を主演に据えてドラマなりなんなりを作る、某キムタク氏のドラマなんか全部そうなんだけど、アタシは肯定的なんです。つか某EXILEの某氏のせいでその流れが途切れたら嫌だな、とすら思う。
そこで原田泰造です。
先の名言を吐いた友人に勧められるがままに見た「ビッグマネー!~浮世の沙汰は株しだい~」は、とにかく原田泰造の演技が光りまくっていた。といっても武田鉄矢同様、型から少しはみ出た演技なんだけど、組み方として面白いのが、主演格の三人が三人とも「本職以外」の人たちなんですね。
長瀬智也はもちろんだけど、アタシが敬愛する植木等も役者歴は長いけど本職じゃないんですよね。
その植木等にドラマ全体を固めさせて、なおかつ長瀬智也を光らせながら、もっとも強く輝いていたのは原田泰造です。
ところが、正直にいえば、ちょっと原田泰造の演技は評価されすぎた。と思うのは、もっぱら彼の最近のドラマ出演って「重要な脇」ばっかりなんですよ。
悪くはないんです。脇でも。でも「ビッグマネー!」の輝きがない。当たり前です。輝いちゃいけない役どころなんだから。
たしかに「原田泰造単独主演」となると、もしかしたら少し弱いのかもしれない。でも準主演というか、主演の誰かと敵対するような役ならこれほど輝ける人もそうはいないと思う。
以前「ダウンタウン浜田と原田泰造でドラマをやれ」みたいなことを書きましたが、本職以外の人を役者として使う場合、適材適所で使わないと誰も得しない結果になると思う。
ダウンタウン浜田や原田泰造は主演格でこそ輝く人材です。それで視聴率が取れないとするなら、もうひとり視聴率が取れそうな人を主演格に入れればいいだけの話です。
人材がいないのならともかく、単純に活かせていないってのは、本当にもったいないと思うんだよね。