歌声にすべて集約される
FirstUPDATE2015.11.30
@Scribble #Scribble2015 #メンタル #性 単ページ 華原朋美 歌唱力 哀しみ

幼少時代から今現在までのアタシの人生を「音楽」で綴る、という趣旨のプレイリストを作ったりして遊んでいます。

とはいっても単純に、「1968年(←アタシが生まれた年)から2015年に流行っていた曲」をリストアップしているわけではありません。
流行ってようがなかろうが関係ない。その曲が発表された年も関係ない。中3の時に「俺たちの朝」ってドラマにハマっていたんだから、その主題歌の曲順は1983年頃あたりに入れるわけです。

とはいえ時代とまったく無関係なはずもなく、アタシは一時期「婚礼ビデオカメラマン」なることをしていたのですが、ちょうどこの頃流行っていたのがモーニング娘。の「LOVEマシーン」とか「ハッピーサマーウェディング」。とくに「ハッピーサマーウェディング」はモロ、ウエディングソングなので非常に印象が強いし、実際披露宴の余興で歌う人がかなり多かった。
だからこの辺はね、モー娘。が好きとか嫌いとか抜きで入れざるを得ないわけです。
でもさ、実際に聴いてみると、やっぱ今現在の彼女たちの姿がダブる。ああ、何であんな感じになっちゃったのかなって。あんな感じがどんな感じかは書かないけど。

話は変わるようですが、先日「ガキの使い」に華原朋美が出ててね。
とはいえ華原朋美の曲はたいして記憶とリンクしてないんで上記の記憶プレイリストには入っていません。(現注・このエントリを書いたことがきっかけとなって現在は入っている)
でも、どうも、音楽っつーか楽曲ではなくね、彼女の存在を見てると、1990年代後半のことを思い出してしまうんですよ。
いや、華原朋美がそういう人だったっていいたいわけじゃないですよ。ただ当時、アタシか出会った女性でね、彼女と近しい空気感の女性が何人もいたんですね。

で、どういう女性かというと。
ま、はっきりいえば「凄く男性にだらしない」女性です。
誰とでも寝るというか、ワンナイトラブにたいして抵抗がないというか。←生々しくならないようにあえて古臭い表現を用いています。
そういう行為が物凄く好きってわけでもない。ただ、漂うように、ソコに走ってしまう。
でも彼女たちは普段、ある種の闇はおくびにも出さない。屈託のない女性として振舞っている。
しかしカラオケで歌うと、何ともいえない哀愁がある。上手い上手くないの問題じゃない。仮に下手でも、何だか心を鷲掴みにされるような哀愁が歌声から溢れだしてるんです。

しつこいけど、華原朋美が「男にだらしない」といってんじゃないですよ。週刊誌とかでいろいろ書かれているけど、んなもん芸能関係者でもないアタシが本当のことを知ってるわけがない。
でも、曲が「I'm proud」かだっかもおぼえてないけど、とにかく最初に彼女の歌声を聴いて感じたのが「あ、あの子たちと一緒だ」と。
いくら華原朋美が明るく歌おうが、どうしようもないくらい哀愁が溢れる。歌唱力の問題じゃない。
たぶん当時いっぱいいたであろう、男にだらしない女性だけでなく、その手の女性に弱い男性諸氏(かのTK氏もそのタイプだと思う)にも彼女の歌声は響いたはずなんです。
実はね、アタシもそういう女性に弱いんですよね。ま、トシを重ねた分だけいろいろ変わってきたけど。

だけれども、そこからが難しいところでして、男性側からすれば、とにかく今は守ってあげたい、まではいっても、死ぬまで添い遂げたい、とはあまり思わないタイプなんです。この辺は映画の「プリティーウーマン」と一緒で、男性としてはハッピーエンドを望まれると途端に重くなってしまう。
「ガキの使い」の華原朋美を見てて、どうしても「プリティーウーマン」で描かれなかった方のエンディングを迎えたジュリア・ロバーツのその後の姿に思えてならない。
しかも、もう「哀愁溢れる歌声」だけで何とかなる年齢でもなくなったわけでね。
たしかに、何とかしてあげよう、と思える存在ではなくなったのかもしれない。でも、それでも、彼女がどんな人生を送っていくのかを見守りたいという気持ちが強い。

それは1990年代後半にアタシが見てきた「男にだらしない女性たち」の象徴として、気取った言い方をするなら彼女たちの鎮魂歌として、華原朋美の今後が気にかかるのです。







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