正直「中井貴一の竪琴」とどっちにするか迷ったんだけどね。まァ、中井貴一の竪琴じゃ、単なる持ち物みたいなんで。
それにしても、齢40ン年生きてきてね、当然数多のドラマやら映画を見てきたわけですよ。
メチャクチャ大仰にいえば、ここ数十年のフィクションの歴史を見てきた、といえなくもない。
その中には当然役者の歴史も含まれるわけで。
最初は下手くそな役者が、いつの間にか一人前の役者として巣立っていったりもしているわけです。
そんな中でも、ちょっと特殊なのが中井貴一なんですね。
たしか最初は「ふぞろいの林檎たち」だったと思う。
役柄の問題だけじゃなしに、なんというか、どうも、生真面目が服を着て歩いてる、みたいな雰囲気がプンプンしてね、どうもアタシは苦手だった。同ドラマでいえば、圧倒的に時任三郎派でした。
次が「ビルマの竪琴」か。これまたお堅そうなイメージのまんまで。生真面目な軍人であり、一種の変人みたいな役。なんか聞いたことあるセリフだな。
どうもアタシという人間自身がズボラなせいか、真面目な堅苦しいタイプの人って苦手なんですよ。なんだかやる事なす事注意されそうな気がしてね。
人間としての中井貴一が真面目かどうか、そこは問題じゃない。でもそういう役柄をやった時にハマりすぎるくらいハマってる。
だからさ、ああ、この人は、もう信じられないくらい堅い家で育って、何かの間違いで役者になったんだな、と。
え?親父も役者だった?サダケージ?知らねーよ。誰だよそれ。知ってるわけないじゃん。とうの昔に亡くなった役者を中学生が知ってる方が気味が悪いわ。
ところがいつくらいからか、妙にコミカルな役もやるようになっていった。もちろん中井貴一がですよ。
普通はね、どっちかなんです。
完全にイメージチェンジしてコミカルなことをやるか、それとも本人はコミカルに演じてるつもりだろうけど、生真面目さが先に来ちゃって無理矢理感が出ちゃうか。
ところが中井貴一はどっちでもなかった。
真面目さをデフォルメすることによってコミカルにしちゃった。
長年やってるDCカードのCMなんかそうですよ。
カッパとかの着ぐるみとはしゃいでね、でも撮影が終わったらサッと生真面目な顔に戻りそうな、いや、生真面目ギャグをやりそうな感じがある。
ウッチャンがNHKでやってる「Life!」内で、NHKだからとやたら真面目にやらせようとするコントがあるけど、真面目をデフォルメすることによって、とんでもないオフザケキャラになるのです。
しかし実際には難しい。持って生まれたユーモアセンスと、持って生まれた生真面目な雰囲気の両方がないと成立しない。
でも、持ってるんです。ひとりだけ。そう、中井貴一だけ、ね。
近年の「最後から二番目の恋」だって、中井貴一の生真面目な雰囲気がないと成立しないですよ。同時に中井貴一のユーモアセンスもないと成立しない。
「サラメシ」のナレーションだって、突き抜けたハイテンションで通しながら、最後の最後でしっとり攻める。こちらは通常とは逆に、まずユーモアを前面に出して、生真面目をギャップとして使ってる。
こういうのって、結局はセンスなんですよ。
そういや「続・最後から二番目の恋」の特番みたいなやつに、中井貴一のモノマネでお馴染みのきくりんが出てきてね。
もう、信じられないくらい、きくりんがアガってるんです。本人の前でモノマネするのは初めてだったみたいで。
んで、一応モノマネが終わって、司会のキャイ~ン天野が中井貴一に「モノマネ公認ということでよろしいですか?」と。
普通なら、ま、どっちか答えますよ。公認、といえば、面白くはないけどハッピーエンドみたいな雰囲気にはなるし、あえて公認しないって言ったら、それはそれで笑いになる。
ところが中井貴一がまったく予想外の行動に出た。
ちょっと待って、と天野を制止してね、自身のメガネを取ってきて、これ、予備のやつだから、モノマネやる時はこれつけたらいい、ときくりんにプレゼントした。
いやぁ、これは本当にカッコ良かった。ちょっと震えがきましたよ。
ひと言も「公認」なんて言葉を使わず、でも最上級の賞賛を与える。
こんなもん、センス以外にないですよ。もちろんバラエティーとしての演出も微塵も感じなかったし、中井貴一の咄嗟の機転で、とんでもなくオシャレな演出になった。
凄いよね。中井貴一って人は。だからこう思う。
アタシがこの世に生を受けて40ン年、いろんな役者を見てきたけど、間違いなくこの40ン年の中でトップクラスに輝く役者として中井貴一は入るな、と。