第二のピーナッツかどうかはどうでもいいけど
FirstUPDATE2015.8.25
@Scribble #Scribble2015 #音楽 #1990年代 単ページ ザ・ピーナッツ Wink PUFFY 奥田民生 女性デュオ ユニゾン

どうもね、ユニゾンで歌う女性ツインヴォーカルって好きなんですよ。

日本でいえば、ザ・ピーナッツがその始祖、とか書いたら色川武大に怒られるか。昭和初期に活躍した宝塚歌劇の三浦時子と橘薫のコンビこそが始祖ってことになるんでしょうね。
ま、それでも戦後でいえば、やはりザ・ピーナッツってことになると思うんですが、彼女たちの楽曲は天才アレンジャー・宮川泰のおかげか、とにかく普遍的な良さに溢れています。
もちろんピーナッツ自身の貢献も大きい。
双子だからこそ出るフシギなユニゾン感は、他人同士のツインヴォーカルでは出しようがないんじゃないかと。

あ、あらかじめお断りしておきますが、アタシは歌唱力なんてもんは一切無視しています。演技力と一緒で、こんなもん時代によって求めるものが違うんだから、時代を超えて何か書こうとするなら歌唱力を無視しなければ土台比較なんか無理なんですよね。
てなわけで話を進めますが、ずっとユニゾンの女性ツインヴォーカルが出てこないかな、と思ってたんですが、アタシが大学の頃だったかにWinkが出てきた。もしかしたら第二のピーナッツになるかも、と思ったりしたんだけど(実際「シャボン玉が消えた日」ってドラマでピーナッツ役で出演したし)、残念ながら楽曲に普遍性がなかった。もっとはっきりいえば、その時はヒットしたけど、時代を超えるようなクオリティに達してなかったってことです。

んでPUFFYです。
彼女たちのプロデュースをつとめたのは奥田民生ですが、とくに初期はとにかく徹底的に「洒落」で通したのが凄い。
奥田民生本人と、何故か井上陽水が手がけた歌詞もなんだけど、アレンジがね、サディスティック・ミカ・バンドとザ・ビートルズを混ぜたような「つくり」にしてあって、リフもそのまま使ってたりするしね、正直パロディーの範疇を逸脱してるんじゃないかと思うくらいで。
「これが私の生きる道」なんか、植木等の「これが男の生きる道」と、「資生堂」(漢字の部分だけを読んでください)のダブルニーミング、といった具合に、タイトルすら非常にパロディー色が強い。
でもそれがPUFFYの独自色になった。真正面から切り込むんじゃなくて、つまり「本格派」なんて空気を一切出さずにね、PUFFYって存在自体が「芸能界でちょっと遊ばせてもらいますよ」てなスタンスだったのは清いといっていいと思うんです。

アタシもね、最初PUFFYそのものにはほとんど興味がなかった。でも洋楽に詳しくないアタシでさえわかるようなパロディーをねじ込んでくるもんだから(「Mother」の出だしとか)、次はどんな「手」でくるのかな、とだんだん楽しみになってきてね。
フシギなもんで、こうなるとPUFFYそのものにも親近感が出てくる。だからいつしか「パパパパパフィー」も毎週見たりしてたし。
そういやこの番組で大泉洋を知ったんだよな。ぜんぜん関係ないけど。
たぶんね、奥田民生も本人たちも、PUFFYは第二のピーナッツなんて一切考えてなかったはずなんです。あれだけパロディーをやってるのにピーナッツのパロディーはやってないし。

でもそのスタンスこそが「第二のピーナッツ」ではなく、普遍性を持つ「ユニゾンで歌う女性ツインヴォーカル」になったと。
意識しちゃ「第二の」にすらなれないんです。
この後ピーナッツのカバーを歌うモーニング娘。内のユニットがあったけど、やっぱりアイドルの余興としか受け取れない。
女性ツインヴォーカルから大幅に話が逸れるけど、「21世紀の石原裕次郎を探せ」かなんかでグランプリを獲った徳重聡も石原裕次郎的に売ろうとして上手くいかず、何故か脇で輝く役者として育ちつつあるわけでね。
系譜ってのは「跡を継ぐ」という意識がないところから生まれる。むしろ違う方向性でやってる人たちの方が、結果的に後継者として相応しかったりするんです。

だから系譜を継ぎたいなら継ぎたいほど、ぜんぜん違う方向性で行くべきだと思うし、いや、そういう発想で違う方向性を目指しても上手くいかないのかもしれないけどさ。







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