ハリウッドでリメイク!に最適な藤子作品
FirstUPDATE2015.8.20
@Classic #藤子不二雄 単ページ ハリウッド のび太の宇宙開拓史 リメイク ドラえもん PostScript

 いやホント、小指の先ほども批判の気持ちはないんだけど、ピカチュウだったりソニックといったゲーム(ゲームキャラ、といった方がいいか)がハリウッドで映画化されたみたいで、んでそれが、主にキャラクターデザインについて批判されてるみたいでして。とくにソニックなんかあまりにも批判が多くて、公開を延期してまでキャラクターデザインをやり直した、という。
 
 アタシは何度か「漫画・アニメの実写映画化」について書いたことがありますが、やっぱね、ハリウッドで、となるといろいろとニュアンスを変えざるを得ない。
 上手く言えないんだけど、アタシはハリウッドだから無条件にすごいとは思っていません。つまりハリウッドを過度に神聖視していない。だいたい日本発の漫画・アニメ・ゲームがハリウッドで実写映画化されて、まあまあレベルで成功したのは「バイオハザード」くらいじゃないの?「スーパーマリオ」とか「ドラゴンボール」とか冗談もたいがいにしろよ、みたいな出来だったしさ。
 それでもね、ハリウッドで作られるってことは間違いなく邦画より「カネがかかっている」わけで、やりようによってはいくらでもマトモになるっつーか、それなりに評価される作品だって出てこない訳がないんじゃないのかね、と。
 
 それにしても我が敬愛する藤子不二雄作品はひとつもハリウッドで実写映画化されていない。A、F問わず、ものすごくハリウッドでやるのに向いている作品もあるのにさ。
 その中でもアタシは「大長編ドラえもん・のび太の宇宙開拓史」を推したい。つかこれほど「ハリウッド」での「実写映画化」に向いた原作もね、ちょっとないと思う。
 まず題材がハリウッド向きというかアメリカ向き。何しろ物語の骨格は「アメリカ人にとっての時代劇」である西部劇です。西部劇そのものはいろんな事情で昨今作りづらくなってるみたいだけど、これなら開拓時代を舞台にしてるわけじゃないから問題になるわけないし、ちゃんとガンファイトもやれる。
 宇宙っつーか未来的世界を舞台にやるガンファイトって時点でアメリカでウケないわけがないと思うんです。
 
 さらに重要なのは、実は「宇宙開拓史」ってね、レギュラーメンバーとしてはのび太さえいれば成立するハナシなんですよ。つまりこの作品に限ってはドラえもんもジャイアンもスネ夫もしずちゃんもいなくて大丈夫なんです。
 アタシはしつこく昨今制作される二次創作作品、具体的にはスタンドバイミーなんちゃらとかトヨタのCMとかをクサしてきましたが、宇宙開拓史ならそもそもドラえもんを出す必要がないんだから、ドラえもんという作品から離れていても何の問題もないんです。
 もちろんのび太もアメリカ人でいいし、年齢も少年でなくてもいい。極端な話、オッサンでも成立してしまう。
 要はね、射撃の腕以外は何ひとつ取り柄がない、というのさえちゃんと描写出来れば年齢や国籍はどうでもいいんです。
 とにかく何の取り柄もない男のプライベートスペースの一部(さすがに畳の下ってのは変えなきゃマズいけど)が、まったくの偶然で遠く離れた宇宙船と繋がってしまう、これで導入部は完成してしまいます。
 
 軸はのび太(に相当する人物)とロップル(に相当する人物)の友情です。そしてのび太とロップルの妹であるクレム(に相当する人物)との恋愛模様が絡む。
 クライマックスでのギラーミンとの対決なんて、王道中の王道の描き方をすれば最高のシーンになると思う。
 原作では「重力の軽い星ではのび太でもスーパーマンになれる」ってのがあるけど、これはなくてもいいと思う。それより地球では何の役にも立たなかった射撃の腕一本でガルタイト鉱業をブッ潰す設定の方がカタルシスがありそうだしさ。
 ドラえもんたちがいないこともね、一本こっきりの映画としてはかなりプラスに作用するんじゃないかなぁと思います。その方がより主人公の孤独感が強調されるし、だからこそコーヤコーヤ星の人たちを命をかけて守るってのに説得力が出るんじゃないかと。
 
 つかさ、ハリウッドでのリメイクに限らず日本での二次創作もなんだけど、何でこーゆー発想でやれないかなぁって。
 下手にドラえもんとか「宇宙開拓史」で言えばチャーミーみたいなキャラを出すからファンは怒るし、制作側からしても変に原作に忖度するから中途半端なモノにしかならないんだと思うわけで。
 そもそも「原作にどれだけ近いか」なんて実は作者である藤子不二雄はあまり考えてなかったんじゃないか、まず一番最初に「面白い映画を作る」ってのがなきゃ話にならないと思っていたと思われるんです。
 
 さて、藤子不二雄といえば両先生共々数多くのアニメ化作品があります。
 だけれども、これ、ずっと不思議だったんだけど、F先生の一番のお気に入りアニメが「キテレツ大百科」、A先生は「忍者ハットリくん」だったといいます。
 どちらも原作のストックが少なく、やがて大半のストーリーがアニメオリジナルになったことでも有名なのですが。
 
 「忍者ハットリくん」の場合もね、この作品では笹川ひろしが総監督として参加してるんだけど、もうどう見ても藤子不二雄Aのノリというより、タツノコプロのノリでね。(余談だけど、次作の「パーマン」は鈴木伸一と笹川ひろしのせめぎあいみたいな出来なのが面白い)
 あと原作に比して対象年齢を下げたような作りにもなってて。
 アタシは当時、藤子不二雄公式ファンクラブに入っていたから毎月「UTOPIA」が自宅に送られてきてね、そこにも「アニメのハットリくんは子供向けすぎる」みたいな批判が載ってたんだよね。
 
 それまでのシンエイ動画制作の藤子不二雄アニメは良くも悪くも「原作に忠実」を標榜して作られていました。「ドラえもん」が開始された直後、当時のプロデューサーがはっきり「原作が面白いので変えない」と明言してるくらいです。(「原作を変えない」というのは高畑勲の示唆があったらしい)
 ただし第二次藤子不二雄ブームが終焉に近づくと、徐々にですが、原作を大幅に改変したものが出てくる。F作品の「21エモン」や「モジャ公」はその代表ですが、A作品でいっても「ビリ犬」も別物といえば別物だし、短命だったとはいえ「さすらいくん」も大幅にアレンジされている。
 
 「キテレツ大百科」は完全にその流れの中で作られたわけで、最初にやったスペシャル(レギュラー放送の前に放送されたパイロット番組のようなもの)を見た時から、あ、これはシンエイ動画で作られた既存の藤子アニメと「手触り」がぜんぜん違うぞ、と感じた。
 藤子作品というのは良くも悪くも「あまり時代性がない」のですが、アニメの「キテレツ大百科」はかなり今っぽい<作り>になっていて、そこからしてものすごい違和感があったんです。
 
 レギュラー放送になってからは、大半が原作のないオリジナルストーリーだったこともあって、「これはもうキャラクターだけかりた別物だなぁ」と。
 それでも「制作会社が違う」「放送局が違う」「原作のストックがあまりない」「すでに藤子ブームは終わっていた」となったら、まァ今考えればですが、大幅改変はわかるし、悪条件の中で世間に受け入れられるべく仕立てられたアニメ版「キテレツ大百科」をF先生が高く評価したのも、わからんではない。
 
 それでも藤子ブーム前夜に「ハットリくん」の総監督に独特のノリのある笹川ひろしを起用したってのは、なんというか、凄すぎる。すでに「ドラえもん」が受け入れられてるんだから、それでいいじゃん、と思うんだけど、もしかしたらスタッフは「怪物くん」を失敗と捉えていたんじゃないか。そうでないと説明できない。
 「怪物くん」はまあまあ原作ストックがある作品ですが、商売的にいえば、2年という放送期間は「ノルマを達成した=成功」とも「原作をすべて使い切ったわけじゃないのに終了した=思ったより短命だった=失敗」ともいえる。
 
 けどそんな商売上の話じゃなくて、スタッフに作品の出来自体に不満があったんじゃないかと。
 「UTOPIA」でも「怪物くん」のキャラクターデザインの改悪にたいして不満の声が載っていた。何故か途中から怪物くんが太ったようなデザインになったんで。
 しかしそれより、上手くA作品のノリが表現できなかった、という意識があったんじゃないか。そこでA作品のノリを上手く表現できそうな笹川ひろしに白羽の矢がたったと。
 実際笹川ノリとAノリはだいぶ違うと思うんだけど、少なくとも商売上は大成功します。だから結果的には良かったとしかいいようがない。
 
 これは両藤子不二雄先生に限らないことかもしれないけど、漫画家は原作に忠実だけどつまらない映像化より、原作からかけ離れていても面白い映像化を好むのかもしれない。
 そりゃ原作に忠実で面白いのが最高だろうけど、漫画とアニメはまったく別物だからね。さらに実写ともなるとなおさらです。
 一応両先生ともスタジオゼロでアニメに関わっていたから、その辺はさすがにわかってたと思う。
 だから原作に忠実か否かより、映像作品としての面白さを優先させるべき、と考えてたとしても不思議じゃない。
 
『監督をかえていただけますか』
 
 映画「ドラえもん」の第三作目「のび太の大魔境」を観たF先生がはっきりこう言ったといつのは有名な話ですが、実は原作と手触りが違うことより、原作(と自ら執筆していた脚本)に比して完成した映画が面白くない、と感じての行動なら納得いく。
 以降監督に起用された芝山努は非常に個性の強い監督で、笹川ひろしとA先生同様、F先生とは水と油くらいまったく違う。でもF先生の中では「芝山努監督に任せたら、原作に忠実かどうかはともかく、面白いものが出来る」という信用があったんじゃないかと思うわけです。
 
 漫画家は個人事業主であり、仮に自身が関わってないとはいえ自作の映像作品が「面白くない」と断じられるのは、もう死亡宣告に近い。
 だから「面白さ最優先」なのは、よーくわかる話なんじゃないかと。
 そうは言ってもファンなんて勝手なもので、いくら作者が面白さ最優先の考えだったとしても隅々まで「原作との違い」を見つけ出してツツいたりする。ま、そこまでやるのはファンじゃなくてマニアだけど。
 
 しかし今回例に挙げた「宇宙開拓史」のハリウッドリメイク案なんか、何しろ「ドラえもんが出てこない」んだから、重度のファンでも「原作と違う!」みたいな怒り方とかしようがない。むしろね、射撃の腕だけで勇敢に戦う男を描いたら「ちゃんと原作の<スピリット>を継承してるじゃないか」と勝手に類似点を探してくれると思うんですよ。
 
 キャラクターにとらわれず、ストーリーの骨格を利用すれば面白い映画になる、そんな原作を両藤子先生ともにいっぱい描いてます。
 あとはもう、そこに気づくかどうかだけなんだよね。

2015年のエントリと2020年のエントリとの結合ですが、ちょっと失敗してる。もしかしたらもう一回改稿するかもしれません。




@Classic #藤子不二雄 単ページ ハリウッド のび太の宇宙開拓史 リメイク ドラえもん PostScript







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.