たしかにアタシはクレージーキャッツやドリフターズが好きですが、各人が楽器を持っての音楽コントをやるグループが好きなのかって言われると、なんとなく違和感があるし、ましてや「今の人ももっと音楽コントやれよ」なんて話なわけがありません。
年代的に当たり前ですが、アタシはクレージーやドリフの音楽コントを生で見たことはありません。こういった音楽コントってナマで見てナンボだと思うわけで、クレージーもドリフも、少ないながらもいくつか映像として音楽コントは残っていますが、面白さより資料的価値の方が強い。
だからもしアタシに「音楽コントやってるんですよ!クレージーやドリフを目指しています!」と嬉々として語りかけてきたとしても、全然興味が持てないし、今の時代にそんなことやってどうするの?とすら思ってしまうはずです。
それより楽器が出来るんでしょ?笑いが好きなんでしょ?となったら、音楽コントなんかよりやることがあるような気がしてね。
フットボールアワーの後藤とかエハラマサヒロとか、彼らはギターを弾きますが、プロレベルかといえば疑問だけど、素人の中では相当レベルが高いように思う。いや、本気で練習すれば(つまりギターに専念すれば)、プロとしてステージに立てるだけのものがあると思っています。
じゃあ彼らがコミックバンドをやればってのは、何度も書くけど、違う。でも「楽器が出来る人だからこそ出来る笑い」があると思うのですね。
ここで「8時だョ!全員集合」の学校コント一景
いかりや先生「はいこの問題がわかる人!」
加藤「ハイ!ハイハイハイ!!!」
いかりや先生「では加藤くん」
加藤「わかりません!」
こんなもん、文字で読んでも面白くもなんともない。面白がれる人がいるとするなら、いかりや長介と加藤茶のやりとりが脳内再生できる人だけでしょう。
こんなギャグが何故成立するかといえば、完全に音楽として成立しているからなんですね。
いかりや長介はこの一景になると、テンポを落として喋り出す。また極端に抑揚をつけずに喋ってる。
ここにハイテンポでテンションを上げた加藤が切り込んでくる。にもかかわらずいかりや長介は最初のセリフと同様のテンポで返す。
この音楽的なやりとりで、笑いを生む「お膳立て」は完璧になった。
ここで笑いを誘発できるかは最後の加藤のセリフにかかっているのですが、オチの「わかりません!」、このセリフを発し始める呼吸こそ「楽器が出来る人ならばこそ」なんですね。
今の時代、ネタをクオリティやテンションの高低を落差を使ったギャグのクオリティは上がったと思うけど、タイミングだけのギャグのクオリティだけは下がったと思う。
何故ならタイミングだけのギャグって練習量と音楽的素養がないと出来ないんですよ。今はアドリブトークが主流だから練習とかないし、バラエティーでもごく稀にタイミングだけのギャグが決まることがあるけど、あれは偶然に過ぎないから。
でもタイミングだけのギャグって強いんです。昨今のラッスンゴレライなんかのリズムネタもそうなんだけど、ネタのクオリティは関係ない。とにかく音楽的に気持ちよければいいし、意外と長続きする。
ただね、なんか、どうも、オリエンタルラジオにしろ8.6秒バズーカにしろ、アタシからすれば、イマイチ音楽的に気持ち良くない。武勇伝ネタなんか昔から思ってたけど、どうもテンポがズレてる。笑いのためにわざと外してるってより、外れ方が単純に気持ち悪い。つまり音楽的じゃない。
アタシはね、たぶん幼少の頃よりいかりや長介と加藤茶による半拍、いやもっと厳密な1/4拍や1/8拍でやる笑いに慣れてるせいか、タイミングだけのギャグにはうるさいのです。
何度もおんなじこと書くなよと言われそうだけど、リズムネタをやろうって芸人は、いいからまず「ドリフのほろ酔い小唄」を聴けよって思う。
いや、リズムネタはどうでもいい。タイミングだけのギャグの話ですね。
これだって、よくよく考えたら「ガチョーン!」や「お呼びでない」もタイミングだけのギャグなんですね。特に「ガチョーン!」は谷啓が指で周りを呼び寄せて、ほんのわずか、周囲の気が緩むタイミングをはかってることを注目してほしい。
ああいうギャグこそ、楽器をやってるかやってないかで、出来る出来ないが決まるようなもんで、少なくとも先ほど挙げたフット後藤やエハラマサヒロは出来る可能性がある。
そういうネタを持ってるってのは、絶対得なんだけどね。音楽と一緒で、飽きる周回までが長い。つまり何百回聞いてもまた聞きたいと思わせるんだから。