当たっているか外れているかはともかく、とりあえずは意識だけは常にしなきゃダメだと思うんですよ、カンドコロ(現注・=勘所)ってヤツにね。
意識してないより外れてる方がマシなのは、意識さえしていればそこから議論できる。でも意識してなければそこで全部終わっちゃうんです。
カンドコロを外しちゃうと、そりゃもちろんカッコ悪いです。でもカンドコロを考えようともしない、考えてても外れてたらカッコ悪いからってのはもっとカッコ悪い。まあこれは美意識の問題ですが。
だからyabuniramiJAPANでは当たってようが外れてようが、とりあえずカンドコロを突こうとしている。自分で書いてんだから当たり外れはわからないですが、それでも過去ログを読み返してみると「あ、これ違うよな」みたいな箇所が散見できるからね。
アタシの知人で、名前は伏せますが吉本で漫才をやっている人がいます。いわばダウンタウンの後輩にあたるわけですよね。
知人の方はボケなんですが、そのコンビは「ツッコミが凶暴すぎる」とみられていたんですね。ところがある日、ひさしぶりにこのコンビの漫才をみたら、メチャクチャおもしろくなってたんですよ。特に「凶暴すぎる」と揶揄されたツッコミがすこぶるよくなっている。
アタシはその知人に「いったい何があったのか」ときくと、驚くべき答えが返ってきたんです。
「あれなぁ、あいつ(ツッコミ)、浜田さんにアドバイスもろてん。「お前、ツッコんだ後、何でもええからニコっと笑え」って。それから急に変わった」
この話をきいた時、アタシは震えがとまりませんでした。「ニコっと笑え」なんて単純きわまるアドバイスですが、これは「ツッコミとはいかなるものか」を完全に掌握していないと到底でてこない言葉です。
「笑え」というのは「これはツッコミであって、本気で怒っているのではないですよ」という合図なんだけど、それを至極単純な言葉で(しかも誰でも飲み込める)アドバイスができるなんて、ちょっとできないですよ。これは人にものを教えたことのある方なら、<ひとつだけポイントを指摘して、全体が劇的に変化する>ような、このアドバイスのすごさをわかっていただけるんじゃないかと思います。(2005年1月13日更新「ダウンタウンのこと」/現注・大幅改変したものはココに置いてますが、↑通りの、いわば原文を含むエントリはオミット)
えらく長々引用しましたが、こういうのを「カンドコロを突いたアドバイス」っていうんだと思うのです。
カンドコロというのはコロンブスの卵みたいなもので、後から聞くと「なぁんだ、その程度のこと?」みたいに聞こえる。道程としてはことの外短い。だから「こんなこと誰にでも思いつく」と思ってしまいがちです。特に社会経験が浅い若い時なんかは。
逆に道程は長いけど辿っていけば誰でも導けるようなものは「カンドコロ」とはいえない。でも「自分はこれだけ深く考察できている」と勘違いしやすいんですがね。
何かの批評に限らず仕事でも「カンドコロ」は一番の重要ポイントなんです。カンドコロを外すと、ましてやカンドコロを意識してないと絶対その仕事は失敗する。
カンドコロを突いていこうとすると、時には自分のポリシーを曲げなきゃいけない時も出てくる。自分の中でそのせめぎ合いをしながら妥協点を探っていくしかないわけで。
つかカンドコロを意識してないモノは、仕事であれ本であれ、ネット上のテキストであれ、まあツマラナイですな。