半死語の世界
FirstUPDATE2015.4.20
@Scribble #Scribble2015 #ことば #1980年代 #レトロ 単ページ 死語 坊や ピーターパン症候群 シンドローム 原田治 @山田洋次

昔の本、昔ったっていろいろありますが、まァせいぜい昭和30年代までですね。「坊や」という言葉がよく出てきます。

「坊や、こっちにおいで」

とか

「坊や、誘拐される」

とか。
だいたい3歳くらいまで、もう少し広義でも小学校に上がるまでの男児を指して「坊や」なんていってたみたいですが、もうそういう子を坊やと呼ぶ人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
たしかにね、「坊や」なんて言われると、ほれ、あのふわっとした材質の帽子や洋服を着た子供が浮かびますが、今の子供はそんな格好はしてないですからね。
たとえば妖怪ウォッチの、別にポケモンでもアンパンマンでもいいですが、そういうTシャツを着た子を「坊や」と呼ぶのは、なんか、どうも、違うような気がする。どこがどう違うか上手く説明できんけど。

坊やが男児なら、女児は「お嬢ちゃん」ですが、こっちは廃れた感じがしない。そもそも昔の本でもお嬢ちゃんという言葉にあまり遭遇しないし、今も昔もそこまで使用頻度に差がなかったんじゃないかと。
でも坊やは明らかに廃れた言葉ですよね。こういうのを、死語ではないんだけど、いわば半死語といっていいんじゃないかと。

半死語の中にはもうちょっと新しいものもあって、「シンドローム」なんてそうなんじゃないかね。
つかどうも「シンドローム」なんて聞くと古臭い感じがする。1980年代のニオイというか。
シンドロームを日本語に直すと「症候群」になりますが、シンドロームはなんつーか、軽い、昭和軽薄体に似た、どうもおチャラけた感じに聞こえてしまう。

「ピーターパンシンドローム」なんてまさにそうで、コトの深刻さなど皆無で、バックに原田治(ミスタードーナツのオサムグッズで有名)のイラストがハマる、みたいな、といえばいいか。
でも本当はピーターパンシンドローム、と書くとフザけた感じになるのでピーターパン症候群と書くけど、今のニートや引きこもりをもっとも的確に表してるんですがね。
Wikipediaから引用すれば

「ピーターパン」は人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っており、「自己中心的」・「無責任」・「反抗的」・「依存的」・「怒り易い」・「ずる賢い」というまさに子供同等の水準に意識が停滞してしまう大人を指す。(中略)想像内での理想的な女性像というものは強烈なまでに描かれており、そのほとんどが母性を持ち合わせた「母親像」またはカイリー(筆者注・ピーターパン症候群の提唱者)によっても触れられている「ウェンディ」のような女性像を理想としている場合がほとんどであるという。


どっちかっていうと、提唱された1980年代より現代の方が問題提起しやすいはずなんです。
だからもっとピーターパン症候群自体に陽が当たってもいい。でもどうもそれを拒んでるのが「シンドローム」っていう言葉のせいじゃないかと。

話は変わるようですが、山田洋次の近作とか観ると、現代を舞台にしていても、ハナシじゃなくて空気感があきらかに現代じゃない。
それは思想じゃなくて言葉の問題だと思うんですよ。何つーか、半死語がバンバン出てくる。
半死語に出くわすとね、その言葉の意味とかどっかにすっ飛んでいって、ひたすら「現代性のなさ」だけが浮き上がってくる。違和感ってヤツですか。

これが完全に死語までいっちゃうとギャグになってしまうからね。「デスコでヒーバー」とか。
でも死語ほどははち切れておらず、何だか収まりが悪い違和感が残る。坊やもシンドロームも、まさにそうです。
現代を舞台にした作品ならね、半死語だけは絶対に入れちゃいけない。悪い意味で「引っかかり」ができちゃうから。

だからもう、山田洋次も舞台設定が現代の作品とか止めればいいのに、昭和40年代とかにすれば、と思う。「じゃあ半死語は絶対排除する」とかなったら、今度は山田洋次の空気感が出ないと思うしね。







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