トニー谷、から、ざんショ
FirstUPDATE2015.4.9
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こないだ、っていっても3ヶ月ほど前だけど、Twitterにこんなことを書きました。

何度「唄うエノケン大全集-蘇る戦前録音編-」と「古川ロッパ傑作集」を聴き比べても、芸としてはロッパの方が圧倒的に古臭い。エノケンに普遍性があってロッパは即時性があるのが売りだから止むを得ぬとこもあるけど、エノケンよりもっとモダンといわれたロッパの方が古いのは鍛錬の違いか?(2015年1月19日14:35Tweet)


補足じゃないけど、エノケンがちょっと有利なのは、結構カバーが多いんですよね。それも「ダイナ」だったり「月光値千金」だったり、当時のスタンダードナンバーであり現在でも名曲といわれるような。
そういうメロディーにのせて歌ってるってだけでも下駄にはなるわけで、全曲オリジナルのロッパが不利な理由に、ならなくはないなと。

たしかにエノケンの方が古臭さは感じないし、エノケンのは古さが「いい塩梅」になってる。使い込んだ革製品の如く。それでいえばロッパはビニールですね。当時は凄い新しい感じだったんだろうけど、というか。
これは以前書いたけど、ロッパはロッパでいいんです。古びている分「時代の缶詰」的要素はロッパの方が上だから。
ただ、ロッパも、そしてエノケンにしたところで楽曲を聴いて笑えるかといえば、そんなことはありえない。それこそクレージーキャッツの歌なんかよりもっとわかりやすい形で「あ、これはギャグだな」みたいなのは入ってるんだけど、クスリとも笑えない。
ま、これはどうしようもないですわな。

ところが不思議なことにエノケン・ロッパから15年ほど遅れたトニー谷の音源は、今聴いても意外と笑えるんですよ。贔屓目といえばそうに違いないんだけどさ。
村松友視の「トニー谷、ざんす」を読み返してみて、久しぶりに「ジス・イズ・ミスター・トニー谷」を聴き直してみた結果なんですが、たしかにトニー谷は「歌唱力」という点でいえばエノケンはもちろん素人芸で売ったロッパと比べても別段レベルは変わらない。リズム感はあるんだけど、とにかく声が出てなさすぎる。
それでも笑いを誘発できているのは、トニー谷の芸が非常に歌に組み込みやすい芸だったからじゃないかと思うんです。

アタシはいつも「サンタクロース・アイ・アム・橇(ソーリ)」の犬の鳴き声で笑ってしまうのですが、これだって今の時代からすれば古いギャグですよ。でも鳴き声の入るタイミングが抜群で、だから笑い出すまでいく。
いわゆるフレーズギャグもね、トニー谷のギャグはなんだか頭から爪先まで突き抜けるような深みがあって、それこそ「家庭の事情」なんて「古いね」で切り捨てられない「毒」と「重さ」がある。
いわゆるトニーイングリッシュだってね、何年か前にルー大柴が日本語英語チャンポンギャグで話題になりましたが、あれは強いですよ。時代に関係なく笑える。
余談だけど、ルー大柴のは日本語に英語のフレーズを入れるという形ですよね。たいしてトニーイングリッシュは英語ベースに日本語を混ぜるというやり方。このふたつは似てるけど結構違います。

さて、そんなにたくさん観たわけじゃないけど、やっぱりね、戦前の映画って、一言でいうと「ノリが違いすぎる」んです。喜劇に限らず真面目なヤツでも。
黒澤明は戦中デビューだけど、「酔いどれ天使」なんか観ると「戦後の空気をいち早く身につけて出てきた新進気鋭」って感じがする。つまり戦前のノリに引きづられていないっつーか。だから「酔いどれ天使」にしても「野良犬」にしても今観ても「古臭くて観ていられない」みたいにならない。

笑いでいえば黒澤明にあたるのがトニー谷なんじゃないかと。
エノケンやロッパに限らず、戦前から活躍していたコメディアンの持つ「古臭いノリ」がトニー谷には見事にない。
とか考えると、終戦から現代は、やっぱ地続きなんだなあと。逆にいえば、戦前戦中はまったくの別世界だったんじゃないかと。ま、だからアタシは戦前に興味を惹かれるんだけど。

しかし「笑いの新しい時代の先駆」が、ほんの一時期しか活躍できなかったトニー谷ってのがなんか面白い。当時はたぶん時代の産物としか思われてなかったような芸人が「新しい時代」の道しるべを示したわけだもんねぇ。







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