今更ですが、昨年末に放送された「となりのシムラ」、面白かった!と素直に褒めるのは珍しいんだけど、褒める時は褒めるのですよアタシも。
思えばアタシは前期ドリフターズ(つまり荒井注在籍時代)が好きな人間なので、旧yabuniramiJAPAN時代から、どうしても志村けんには辛辣に書いてきました。しかし方向性に批判的だっただけで、志村けんの能力にかんして何の疑いも持ったことがない。
いかりや長介が書いた通り、本格的なコメディアンの資質を持っていることは疑いようがないわけでね。
さて、練達のコメディアンがコントをする場合、ほぼ三種類あるんじゃないかと思うのです。
① 同格以上で同等以上の能力を持った、しかも馴染みの人たちと行うコント
② あまり馴染みのないメンツ、スタッフと行うコント
③ 馴染みのスタッフ、そして馴染みであり格が下のメンツと行うコント
ダウンタウン松本でいえば、浜田と行うコントが①に該当します。これは志村けんでいえばいかりや長介と行うコントでありますが、当たり前ですが、もう不可能です。
③は志村けんにとっては「バカ殿様」やフジテレビでやってる一連の番組がまさしくそうで、肩の力は抜けてるけど、一歩間違うと緊張感もないにもないってことになりやすい。緊張感はコントの生命線であり、あまり馴染みのメンツとばかりやってると弊害も大きくなってしまう。
となると②です。
まったく馴染みでないスタッフやメンツとコントを行うというのは緊張感を伴う。だからどんどんやった方がいいんだけど、何しろ<場>がない。しかしどうしたことかNHKがコント番組に積極的になったおかげで、ダウンタウン松本やウッチャンがコント番組をやれる状況になった。
個人的見解では松本の「MHK」は失敗であり、ウッチャンの「LIFE!」はギリギリ及第点でした。しかしこれは理由は簡単なんですよ。
「MHK」は新しい松本コントを構築しようとしたんだけど、残念ながら「コント演者・松本人志」にそれだけの能力がなかった。これは以前指摘した通りです。
「LIFE!」が及第点なのは、完全に「やるやら」から「笑う犬」の発展系だからで、築いてきたものの延長線上なんだから及第点は取れるに決まってます。
で、「となりのシムラ」ですが。
コント演者として見た場合、志村けんは松本やウッチャンよりはるかに格上で、他人の神輿の上でも輝けるだけの能力を持っていた。逆にいえば裏方側の能力は脆弱(といっても松本なんかと比べた場合)なんだけど、それが「となりのシムラ」ではスタッフに恵まれたこともあっていい方向に作用した、という感じですか。
なにかまるで志村けんを認めないなんて話みたいですけど、実際はそんなことは全然ないわけです。なぜなら東京風のツッコミで一番好きなのが志村けんなぐらいだから。どうも志村けんはボケというイメージの人が多いみたいだけど、あの人は絶対ツッコミの人だと思う(2004年10月25日更新「志村けんと坂本九」、現注・Scribbleではオミット)
「志村はツッコミ」というのをアタシは繰り返し主張してきました。しかし志村発案のコントはどうしてもボケになってしまって、だけれども単純にツッコミにしただけでは沢田研二や研ナオコとやったコントの縮小再生産になってしまう。
ところが「となりのシムラ」では新境地といっていい「ひとりボケツッコミ」にチャレンジしている。今までまったくやったことないわけじゃないけど、これだけ前面に押し出したのは初めてといっていい。
とくに「死ねない男」はコントというより芝居に近く、その中で極めてナチュラルなボケとツッコミを繰り出している。あれは相当の能力がないと到底不可能で、たとえば熟練の役者でも出来ることは出来るかもしれないけど、ニヤニヤレベルで止まったと思う。それを「笑い」まで持っていけたのは、誰がどう見ても志村けんという人の技量なのです。本質的にはツッコミでありながら、長年ボケをやってきたことがここに結実しているのです。
これ、またやるのかね。好評みたいだからやりそうだけど、もう一回いうけどコントの生命線は緊張感だからね。それを持続できるならずっとやってもらいたいなぁと思っておるわけで。