高い買い物か安い買い物かの境界線を決めることは難しいのですが、公務員の初任給を基準にして、ほぼ同額、もしくは高い場合は「高い買い物」として考えれば、パソコンてのは世に出てからずっと高い買い物だったといっていいと思います。
大昔の8ビットホビーパソコン全盛の頃は、単純に本体価格だけでいうなら10万円前後のものもありましたが、モニタまで含めると20万円前後だったわけで、やっぱり高い買い物だった。
それらは最低価格帯に近く、もっと本格的なことをしたければ100万円、なんて珍しいことでもありませんでした。
MSXが素晴らしかったのは、総額5万円前後でそこそこ使えたこと、それなりに普及したためソフトもそれなりにあったことですが、それとてデファクトスタンダードになったかといえばなっていないし、何より実用には程遠かったわけです。
え?全然Macの話じゃないって?まあ最後まで読んでくださいな。
高い買い物ってね、使ってみてそれだけの価値があるってだけじゃダメなんです。それじゃ一般に浸透していかない。いわば所有欲みたいなもんを満足させるスガタカタチってもんも求められる。
どれだけ素晴らしい性能のもんでも、24時間フル稼動しているわけじゃない。
例えば冷蔵庫なんか24時間フル稼動してますが、使っていると実感できるのはドアを開けた時だけじゃないですか。つまりドアを開けてない時は、単なる馬鹿デカいオブジェでしかない。
そこで求められるのは、ふと目をやった時に、ああ高かったけど買ってよかったなと思えるかどうかなんですね。
やっぱりね、普通に考えたら、高いものは高い風の「ナリ」みたいなのがあるに越したことがないんですよ。実は高いのに、見た目が安っぽければ、なんとなく損をした気分になるし、そもそも買おうという気になりづらい。
パソコンは「高い買い物」だったから、ずっとその呪縛にとらわれていたといっていい。
いわゆる高級感ってやつですよ。色でいえばホワイト、グレー、ベージュ、ブラック、シルバーといったシンプルでシックな、ね。もうちょっと派手な色遣いのデザインもなかったとはいわないけど(シャープのX1とか)、それも価格帯が上がるにつれ淘汰されていったし。
ケバケバしい、とまではいわないまでも派手なカラーリングが許されるのはMSX程度の価格帯のものだけ、だったのは当然といえると思うのです。
前にスティーブ・ジョブズのことを書いた時、彼の人生のハイライトは初代iMac発表の時だったんじゃないかと書きました。
初代iMacは技術的な目新しさのなさと、コンセプトの画期的さ、横井軍平のいうところの「枯れた技術の水平思考」に通ずるものがあるマシンでしたが、デザインにおいては圧倒的に画期的で、それはパソコン=高級感が必要、という呪縛を捨てたことにあります。
いや、初代iMacも現物を見ると、それなりに高級感があるのですが、写真じゃ伝わらない。プラスチックぽい素材の半透明の本体を見て高級感があるな、と思う人はまずいないでしょう。
しかも当時としては安価だったとはいえ、18万円近くすることを考えれば「高い買い物」なのには違いない。特に性能の違いがよくわからないようなライトユーザーにとって「こんな安っぽいもんに18万円も出せねーよ」と思われても、まあ仕方がない。
結果はご存知の通り、初代iMacはヒットし、今のアップルの快進撃の基点となるわけですが、あの時点であのデザインを採用するってのは只事じゃない。
ジョブズの功績はいろいろありますが、本当に画期的なものはワンマンでないと生まれないと証明したことなんじゃないかと思うわけです。
あんなの、会議を重ねる日本のメーカーなら絶対通らないですよ。もしかしたら日本にもiMac的なデザインを考案できるデザイナーはいたのかもしれない。いやたぶんいた。
でも会議で通るとは思えない。
「あのさ、こんな安っぽいデザインに誰が20万円近いカネを出すと思う?」
そういわれたら二の句がつげない。だから会議で通らないことが間違いだとはいわない。
しかし間違えないこと、無難とは、なんとツマラナイことよ。つかデザインに無難を求めた時点で、それはデザインではないと思うのですがね。