小泉今日子の特性
FirstUPDATE2014.4.26
@Classic #芸能人 #テレビ #テレビドラマ #アイドル #藤子不二雄 #松竹 #東宝 #1980年代 #2010年代 単ページ 小泉今日子 キョンキョン ドラえもん 変ドラ すいか 最後から二番目の恋 あまちゃん 悪ノリ

 ずいぶん前に消滅してしまいましたが、かつて「変ドラ」という実に面白いサイトがありました。(復活されているようなのでリンクを貼っておきます)
 「ドラえもん」という題材を多角的かつ正確に解体し、しかしけしてマジメくさった感じではなく笑えるコンテンツに仕上げていたのにほとほと感服したものです。
 アタシ自身強い影響を受けており、やぶにら(旧・yabuniramiJAPAN)というサイトの文体のベースは「変ドラ」からパクった、もとい参考にさせてもらったくらいでしてね、ええ。

 「ドラえもん」という作品の主要登場人物、中でもドラえもんとのび太は誤解されまくったままになってるのは本当に困ったものでして。
 のび太なんか絶対気弱な性格じゃないからね。むしろ好戦的な性格です。ジャイアンにやられるのは<気>ではなく<力>が劣るからで、ドラえもんの道具で<力>がジャイアンを上回れば反撃に転じるんだから。そんな人間が気弱なわけがない。
 まァのび太は置いておくとしても、ドラえもんもかなり根深い誤解がある気がする。
 「STAND BY ME ドラえもん」では「計画(つまりのび太の未来を変える)を遂行しないと電流が流れる」なんて莫迦な設定だったけど、原作をちゃんと読み込んでいればね、絶対こんな余計なことはしなかったと思うんです。

 原作において「セワシの祖先の未来を変える」ことにかんして、ドラえもんの心情は描かれてはいない。だけどどう考えても「電流が流れるから」というような強制力の強い理由でなどあり得ないわけで。
 ドラえもんの性格を考えるなら「祖先の未来を変える?それ、面白そう」と思ったに決まってる。そういうね、軽率というか悪ノリが酷いのがドラえもんなんです。時にはのび太がストッパーにならざるを得ないほど悪ノリが過ぎるんだから。
 しかし悪ノリが過ぎるのは<時たま>です。では普段はどうかというと醒めている。むしろ醒めすぎじゃね?と思えるほど醒めているんです。
 最初に「変ドラ」というサイトのことを書いたけど、その中に「白ドラ」というページがあってね。如何にドラえもんが白けきった表情が多いかに着目していました。
 いやホント、「STAND BY ME ドラえもん」もトヨタのCMも「変ドラ」の管理人さんに監修させるべきだったわ。つかそれは本当は藤子プロがやらなきゃいけないんだけどね。藤子プロがしっかり「それやったら別物になるから」ってはっきり言わなきゃ。ねぇ。

 さてさて、ドラえもんは、まァ、漫画の登場人物です。しかし「普段は醒めているが、ノるとなったら悪ノリレベルまでノる」人物を演じさせたら小泉今日子の右に出る者はいないと思うわけでして。
 え?そう、もちろんあのキョンキョンですよ。ま、リアルの性格は知らないし興味もないんだけど、小泉今日子がドラマや映画に出て成功したものって 「普段は醒めているが、ノるとなったら悪ノリレベルまでノる」みたいな役柄の時だけなんですよね。
 思えば小泉今日子がドラマに出てるのを初めて見たのは「少女に何が起こったか」でしたか。
 何しろこれは大映ドラマですからね。<暗いけどコートームケー>なトーンだったのは言うまでもありませんが、小泉今日子への印象は薄い。とにかく石立鉄男の「薄汚ねぇシンデレラ!」というセリフだけが強烈だったという。

 次が「怪盗ルビイ」になるのかね。
 和田誠の監督第2作になるんだけど、和田誠と言えば頭の中がハリウッドの人だから、ソフィスティケートされた犯罪コメディかつ<アイドル>映画、を撮るとなったら、あの時代であればそりゃ主演は小泉今日子しかいなかったってのはよくわかるのです。松田聖子や中森明菜ではどうしても野暮ったくなるしさ。
 たしかに小泉今日子にはフシギなモダニズムがあるんだけど、役柄自体は小泉今日子に合ってるとは到底言えない。というのもこの映画の主人公は「無自覚のまま大それたことをしでかす」わけで、この無自覚ってのがね、どうも小泉今日子と合わないんです。

 本来アイドルというのは無自覚であればあるほど好ましかった。アイドル歌謡に「卑猥な表現を隠し入れる」なんてのは常套手段で、河合奈保子の「大きな森の小さなお家」とか、初期のSPEEDの楽曲とか、完全に「無垢なアイドルが無自覚に卑猥な歌詞を歌う」ことを狙っていたわけです。こんなの自覚的なら悪い意味で卑猥すぎて聴いてられないですからね。
 アイドルとして登場した小泉今日子が画期的だったのは「無自覚だと窮屈そう、しかし自覚的なことならイキイキとする」という極めて珍しいタイプだったからです。
 如何にもなアイドル歌謡は苦しそうで、アイドルをメタ的に捉えた「なんてったってアイドル」ではハツラツとする。
 ただし、画期的かつ<一風変わった>アイドルではあったけど、新しいタイプではなかった。後続者が現れなかったからですが、それは芸能人として強烈な個性を持っていたからに他ならないことになる。だからこそ小泉今日子は輝けたのだと思うわけです。

 アイドルを卒業して以降、小泉今日子は役柄に恵まれていたとは言えない。個人的に上手く使ったなと思ったのは「すいか」での逃亡犯役ですが出番が少ないし、のちに開花する「普段は醒めているが、ノるとなったら悪ノリレベルまでノる」までは到達出来ていないわけで。
 となるとやはり、周知の通り、小泉今日子の個性を使い切ったと言えるのは「あまちゃん」と「最後から二番目の恋」でしょう。
 「最後から二番目の恋」はフジテレビ製作でしたが、私見では松竹カラーが濃厚で、しかしパロディではなく「現代風に染め直した松竹映画」になっているんですよ。

 松竹ってよほど「男はつらいよ」や小津安二郎監督作品のイメージが強いのか、どうしても松竹=土着的な人情物と思ってる人が多いみたいで。
 しかし松竹作品って基本的には洒落てるんです。ただし東宝のようなハリウッド的なモダンさではなく、ヨーロッパ映画のようなしっとりとした洒落方っつーかね。小津安二郎作品がヨーロッパでの評価が高いのもその辺が理由だろうし。
 もうひとつ特徴的なのが、松竹って東宝出身の役者を実に上手く使うんです。例えば小津映画の常連である原節子なんか、東宝時代はモダニズムの体現者のような派手なルックスの女優でしたが、松竹作品に出るようになって以降、そのモダンさをあえて全部は殺さず松竹の役者との対比として使っている。

 小泉今日子が松竹的か東宝的かで言えば、これは文句なしに東宝的なんですよ。東宝出身ではないけど持って生まれたハリウッド的なモダンさがあるからです。
 一方、「最後から二番目の恋」で共演した中井貴一は完全に松竹的な人です。この人も松竹専属ではないけど、何たって親父が佐田啓二ですからね。言うまでもないけど佐田啓二は松竹の看板二枚目でしたから。
 中井貴一以下のキャストや全体のトーンは松竹風で、そこに異分子というか東宝的な小泉今日子を混入させる。そのやり方も松竹っぽいんですよ。
 しかも小泉今日子が演じたのはまさに「普段は醒めているが、ノるとなったら悪ノリレベルまでノる」キャラクターになっていた。つまり小泉今日子の個性を殺していないんです。だから成功したと、ね。

 「最後から二番目の恋」(正続編)は文句なしに小泉今日子という<タレント>(否女優)の代表作だと思うけど、主演ではないにもかかわらず、代表作の中に「最後から二番目の恋」と並べても違和感がないのが「あまちゃん」です。
 「あまちゃん」はどっちかというとマイナー志向の宮藤官九郎を脚本に起用した朝ドラですが、クドカンと小泉今日子の付き合いは古い。2003年の「マンハッタンラブストーリー」ですでに主演しています。ま、これはラブストーリーでないのはもちろんコメディとも違っていて、相当に変わったドラマでした。
 この時の小泉今日子の役柄はタクシー運転手で、かなり蓮っ葉な感じで演じていましたし、「あまちゃん」より後の「監獄のお姫さま」(もちろんこれもクドカン脚本)では元監獄囚でありながら<仲間内ではもっとも常識的>なキャラクターとなっていた。
 どちらも、小泉今日子がドラマで成功するとアタシが定義したキャラクターとは異なります。

 しかし「あまちゃん」は完璧にド直球で「普段は醒めているが、ノるとなったら悪ノリレベルまでノる」キャラクターで、しかも「元アイドル」(正確にはアイドル<くずれ>ですが)で、元不良めいたっつーか蓮っ葉な感じも持ち合わせている。
 つまり小泉今日子の総決算と言えるような、彼女の人生と重なり合うところが多すぎる=果てしなく地のままで演じられるキャラクターになっていたのです。
 早い話が彼女はハーセルフに近ければ近いほど良い。その方がドラマが躍動する。
 劇中、小泉今日子が田舎のクソダサい服を嬉々として着る、なんてシーンがあったけど、この悪ノリ具合は尋常ではない。それは「脚本上でそうなってる」とか「演出」といった作り手の意図をはるかに超えて、小泉今日子自身の悪ノリぶりが前面に出てくるんです。

 先ほどわざわざ「<タレント>(否女優)」と書いたのは、こうしたドラマから逸脱した箇所で輝ける、むしろ「これはドラマの役柄なのか、それとも小泉今日子という人の感覚なのか」という境界線上をさまよっているのが小泉今日子と言えるわけです。
 それはね、やっぱり女優っつーか役者じゃないんですよ。タレントなんです。
 TBSの名演出家だった鴨下信一は「植木等はドキュメンタリータッチのフィクションであれば輝くけど、フィクショナルなものは苦手」というようなことを語っていますが、それはまさに小泉今日子もなんです。

 何かの役柄に当てはめようとしたら途端に凡百の上手くない女優にしかならないけど、彼女の個性をフィクションのキャラクターに上手く落とし込んだら物語を牽引しまくれる人になれる。
 アタシはアイドルとしての小泉今日子には何の興味もなかったけど、こんな人はそうそういないんだからさ、ま、いろいろあるのはわかるけど、いくらでも上手く使えると思うんですがね。

本当はね、小泉今日子って「ステレオタイプの活かし方」で書いた記号的演技者、しかも主演タイプなんですよ。
だから開き直ってそーゆー役専門でやればいいのに、どうもキョンキョンっていろいろやりたがるよね。ま、主演タイプってのが難しいのはわかるんだけどね。




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