テレビ番組ってのは、どれだけ長く続こうが「なんとなく、近い将来に終わるな」と思えるものと、そんなに長くやってるわけじゃないのに「もしかしたら永遠に続くんじゃないか」ってものがあったりします。
いや「永遠に続く」とかさえ思わない、あまりにも当たり前に存在し続けるっつーか、やってることが当たり前すぎて存在自体意識しないっつーか。
「笑っていいとも!」(以下<!>省略)はあきらかに後者に属する番組でした。しかし最初からそうだったわけではないのが面白い。
番組当初のことは何となく憶えているけど、これはすぐに終わるな、と。当時はそんな言葉は知らなかったけど「つなぎ番組」みたいな感覚があったんです。
というのも、出演者はどう考えても「昼間向き」の人たちではないというか、どうにも夜のニオイっつーか、真っ昼間から酒のニオイがするっつーかね。むろんタモリがその代表格なのは言うまでもありません。
番組構成もグズグズな感じで、一応コーナーで仕切りみたいなのはあるんだけど、後年よりももっといい加減な感じだったし。
しかしそんなグズグズな中で、とんでもない金脈を掘り当てていた。それがテレフォンショッキングのコーナーだったんです。
これもね、ノリとしては酒席のノリなような気がする。「おい、誰か呼ぼうよ。来るヤツいねえのか」みたいな、その場で電話してテキトーに決めてしまうってのがね。
記憶が曖昧なんだけど、初期の「笑っていいとも」ってテレフォンショッキングのコーナーはたしか番組の最後の方だったと思う。何かで「時間調整のためのクッションコーナーだった」みたいな記述を読んだことがあるし。
ところがこのコーナーが化けた。限られた交友関係の中でやってるイメージの強い、しかもあまりトークのイメージがないタモリが芸能人とトークする、というのが実に新鮮だったんです。
とくに「友達」という<体>でゲストをつないでいく、というスタイルは画期的っつーか、ここに発明性を感じるのですよ。
トーク番組というのはゲストによって視聴者の関心度合いが著しく変わるのが普通です。例えば今週のゲストが歌手の◯◯だったとします。当然◯◯のファンはその番組に関心を寄せると思うけど、それはその週限りなんですよ。だって次の週のゲストは「ベテラン女優の◇◇」とかなんだから、だったら来週は見なくていいか、となって視聴習慣にはつながらないんです。
アタシはね、よく言われた「電話で出演交渉」や「交友関係の有無」といったガチかヤラセかはどうでもいいんです。その辺は所詮バラエティなんだからたいした問題ではない。
ただ本当に友達であるか否かにかかわらず、ちょっとでも交友関係がありそうな、あっても不思議ではないゲストにつながっていく。ミュージシャンなら同じジャンルのミュージシャンにつながったりする。
となるとその日のゲスト目当てで見た人も「そんなに好きってほどじゃないけど興味が皆無ってこともない。ならば明日も見るか」となりやすい。つまり視聴習慣につながりやすいってことなんですよ。
これは計算ではなく偶然だとは思う。しかし偶然掘り当てた金脈だからこそ他局も真似しようがなく、結果的に「笑っていいとも」が突出した存在になれたと思うんですね。
こうなると番組の趣旨も変わってくる。
明石家さんまの発言の通りだとするなら、初期は「オレたち!ひょうきん族」と出演者が被らないようにしていたらしい。だから必然的にコメディアンや芸人ではなく文化人寄りの人が多かった。何しろ司会がタモリなので、タモリ人脈というか夜のニオイのする人がレギュラーとして出ていたわけです。
ところが番組が定着していくと「本来夜の顔の人を広く世間に周知させる」効果が出てきた。何よりタモリ自身が「けしてマニアにだけウケるようなマイナーポシェットの存在ではなく、もっとスケールの大きい」タレントだというのが認知され出したんです。
タモリは本来、芸人はおろか芸能人になる気なぞ一切なかった人です。学生時代はトランペッターになりたかったんだろうけど挫折し、福岡で細々やっていた。
それが山下洋輔などに見出されて、赤塚不二夫にも気に入られて上京して芸能人活動をすることになったわけです。
普通はね、東京で芸能人として認められる、なんてことがあれば変わるわけですよ。いくら本来の目標とは違うものであろうが、人に認められてレギュラー番組も獲得して、それで舞い上がらない方が珍しい。
しかしその珍しいひとりがタモリだった。一応テレビには出てるけど、自分はコメディアンでも芸人でも、それどころか芸能人ですらない。ましてや文化人でなどあるわけがない、というスタンスを一切崩さなかったのはすごすぎます。
そんな人だから、面白いと思ったらやる、面白くなかったらやらない、というのも徹底していたと思う。ま、芸能人としての箔も名誉も欲してないんだから当然です。
今も続く「タモリ倶楽部」や、旧知の人がレギュラーで出ていた初期の「笑っていいとも」は、まァ、それなりに面白い仕事だったと想像出来る。どっちもグズグズが売りの番組だったし。
しかし「オレたち!ひょうきん族」との出演者かどうかの縛りもなくなり、気がつけば「笑っていいとも」のレギュラーの大半は芸人が占めるようになっていきました。
芸人に夢も憧れもなかったタモリにとって、芸人たちと馬鹿騒ぎをして時間を消化するだけになった「笑っていいとも」を面白いと思っていたかはかなり疑わしい。
しかし、タモリはそんな状況を相当冷徹な目で眺めていたのではないか、と推測できてしまうんです。
さて話は変わるようですが、色川武大という作家がいました。ま、一部の人には<阿佐田哲也>と言った方が通りがいいか。とにかく麻雀小説を書く時は阿佐田哲也名義で、その他の小説や雑文の時は色川武大名義で、と使い分けていたという。
色川武大は奇人としても知られており、いや奇行を繰り返していたとかではないんだけど、間違いなく人と違った特殊な脳を持った人ではありました。
普段の色川武大は気遣いの人で、交友関係が実に広かった。ジャズ好き、笑い好きという趣向もあって<笑い>関係の人たちとも交流があり、その中のひとりにタモリもいたんです。
色川武大はタモリと一晩語り合った夜のことを雑文に書き残している。「なつかしい芸人たち」に収められている「ロッパ・森繁・タモリ」がそれで、これが実に面白い。これを読めばタモリという人の頭の良さと用心深さと特殊性が一発で把握出来るほどです。
その夜、色川武大とタモリの間でどんな会話が交わされたか、その話の前にタモリと名前を並べられているロッパと森繁の説明をしておきます。
ロッパこと古川緑波は戦前戦中を代表する、エノケンこと榎本健一と並び称されたコメディアンで、絶大な人気を誇っていました。しかし戦後は一転して人気が急落し、また楽屋裏での横暴さから慕う後輩もおらず、晩年は闘病の果てに早逝しています。
そのロッパの最盛期に一座の若手座員だったのが森繁久彌で、若き日の森繁はロッパの横暴ぶりと、しかしその座組みやプログラムの組み方の巧さをじっくり観察していたとおぼしい。
森繁さんはすごいですよ。あの人はほかの役者とはちがう。実にしのぎがうまいです。(中略)森繁さんのすごいところはね、自分にとっていちばん危険な奴を手なずけてしまうことですよ。役者ってたいがい、自分の座を揺るがすようなライバルが出てくると、遠ざけるか蹴落とそうとするでしょう。座長芝居ってそれでつまらなくなるんだ。(中略)山茶花究と三木のり平、自分のまわりでもっとも怖い才能の持主を、逆に引き寄せちゃう。(「なつかしい芸人たち」より)
これは色川武大が「その夜のこと」を思い出しながら書いたもので、つまり速記があるわけではないのでどこまで正確かはわかりません。
しかしタモリがこのようなことを色川武大に語っていたとするなら、これは注目に値します。
タモリは自分の置かれた立場を森繁久彌の<しのぎ>に重ねて合わせていた。つまり、森繁久彌が部分的とはいえロッパのやり方を自分流に応用したのと同様、タモリもまた森繁久彌のやり方(つまり<しのぎ>)を応用しようとしていたんじゃないかと。
2014年3月31日、実に31年続いた「笑っていいとも」は最終回を迎えます。
最初の一年ちょっとを除いて、別段面白い仕事ではなかったはずの「笑っていいとも」という番組の中において、タモリは何故続けることが出来たのか、そして何を考えて続けてきたのか、それは最終回の夜に放送された特番を見ることで氷解したのです。
その特番(「笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号」)は一般的には「明石家さんま、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、ナインティナインが一堂に会した」ことで記憶されていると思います。
これがこの特番の前半部で、では後半はというと「レギュラー出演者がタモリへ謝辞を述べる」という構成になっていた。
こんなのダレるに決まっており、実際後半の評判も悪かったのですが、しかし、タモリの「笑っていいとも」における役割を考えるなら、これしかなかったと思えるわけで。
というか「自分への謝辞を延々聞かされる」なんて、本当にタモリが嫌だったらやってないと思うんですよ。それでも受け入れたのは、あれこそがタモリが「笑っていいとも」をやってきた成果、つまり結果発表だったと。
もちろん想像に過ぎません。しかしそう考えると辻褄が合いすぎるんです。
つまりタモリは森繁久彌の<しのぎ>を「笑っていいとも」という番組でまんま実践した。若くて才能があってのし上がってくる『危険な奴』を『手なづけ』ようとしたわけです。
実際タモリの<しのぎ>は成功したと言っていい。芸人やアイドルやタレントがタモリを中心に輪を作ったんだから文句なしに成功と言えるはずです。
だからと言ってタモリは地位や名誉を守るために<しのぎ>をやったんじゃない。芸能人というか芸能界への執着の薄いタモリがそんなことをやるわけがない。
森繁久彌の<しのぎ>を真似したのは、あくまで<遊び>なんです。<遊び>として次々に出てくる新しい芸能人を上手く手なづけることが出来るか、まさにゲーム感覚で<しのぎ>をやっていたと。
こうした感覚があったからこそ30年以上も続けることが出来たと思うし、<遊び>の結果発表として、あの謝辞コーナーは必要だったとね。
おそらくタモリほど芸能界というものを冷徹な目で見ていた人はいないと思う。いや芸能界に限らず<中の人>でありながら、まるで部外者かのようにその業界を客観的に見ることなどほとんど不可能と言っていいはずです。
だからこそ、ここは真面目にやる、ここは遊ぶ、という線引きが明確な上に外していない。お昼の帯番組で「壮大な実験のような<遊び>」をしようなんて普通考えないもんねェ。
こう言っちゃ僭越なのですが、どうにも「タモリ論」(新潮新書)がつまらなくて、いくらなんでもカンドコロを外しすぎだろと。 自分で書いたことの方が凄い分析が出来てるとは思っちゃいないけど、せめてこの程度は分析してくれよ、という意味を込めてリメイクしたって感じです。 |
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