Twitterにもちょろちょろ書いてるし、もういいかなとも思うんですが、次から次へとネタを提供してくるんで、こっちも止めるに止められない。いや止めればいいんだけど。
だって偽ベートーベン騒動がおとなしくなってきたと思ったら次はコピペ論文でしょ。またこれが絶妙というか、第二の矢(コピ論)の方が第一の矢(偽べ)よりスケールも事の深刻さも悪質さも「ほんの少し大きくなって再登場です」みたいな感じなんだもん。
ま、つまりは本質的には一緒ですわな。
ネット上で何度か「(偽べもコピ論も)あんな稚拙な嘘がバレないと思ったことが一番不思議」みたいな意見を読みましたが、たぶん本人たちは嘘をついたなんてこれっぽっちも思ってませんよ。
さてここからは偽べともコピ論とも関係ない話です。ということにしておきます。
何度かここでも「自己愛性人格障害」について書いたことがあります。ま、名称から大方の察しはつくでしょうが、早い話が「自分の傷には異様に敏感、他人の傷には、怒る」みたいな人を指します。
ああ、さすがに意味がわからないわな。書き方が適当すぎた。そうですよね。「他人の傷に<無頓着>」ならともかく<怒る>ってなんだそれ?ですよね。
たとえば自己愛性人格障害の人、仮にAとします。んでAがBを殴ってBが怪我した、と。するとまあ、こんな感じで考えるわけですわ。
「殴らざるを得なかった自分の心の方が傷ついた。しかもBは怪我までした。それはBが怪我をしやすいからだ。Bが怪我をしたせいで余計に傷ついた。つまり自分は被害者であり、悪いのはBなのだ!」
となってしまう。
一見すると矛盾の塊な自己弁護のようですが、違うのです。自己弁護も何も彼らは本気でそんな風に考える。ま、だからこそ人格障害といわれるんですけどね。
いわば障害を持ってるわけでしょ?そんな人をまともに取り合う方が悪い、と思う方もいるでしょう。
しかしですね、少なくとも「わかりやすく」はないのです。性善説的にいえば、ちょっと自信過剰気味だけど自分のやってることに誇りをもった人、に見えなくもない。つか大抵は騙される。ネット上でエラそうにいってる奴も、実際に接してみたら見抜けるわけがない。
「笑いながら人を殺していく」みたいなキ○ガイ(←これ、別に伏字にしなくてもいいと思うんだけどね)のステレオタイプが実際にはいないように、人格障害といっても見るからにおかしいなんてことはない。サイコパスなんかその典型でしょ。アタシだって軽く知ってる程度じゃ見抜ける自信ないもん。
いや、ここまで極端な、人格<障害>とまでいわれないレベルなら、つまり少し歪んだ程度の人ならどこにでもいる。
というか大なり小なり誰しも「自分の傷に<だけは余計に>敏感」だと思うのです。「自分の傷には無頓着、他人の傷には敏感」ならそれはそれで問題あるでしょ。
でもそういうのは、タイトル通りセンシティブとは云わない。はっきりいえば、ワガママなだけです。
話を戻しますが、偽べもコピ論もね、たぶんいくら糾弾しても意味ないんじゃないかなあ。一部の馬鹿がいってる「マスコミによる弱い者イジメ」とかじゃなくてね。それよりもっともっと実質的なことで早くやらなきゃいけないことがあると思うのですわ。