結局「半沢直樹」は録画するだけして見てないんだけど、いろいろ聞く分には、どうも「現代を舞台にした時代劇」みたいな感じらしいですね。
そういえば時代劇の衰退が叫ばれて久しいですけど、如何ようにもいえる衰退の理由の中で、アタシはただ一点、フィルム撮影じゃなくなったから、しかあり得ないと思うのです。(現注・とか書いてますが、さらに詳細に「時代劇衰退の理由」を精査したエントリを書いてますので、よろしければ是非)
恐ろしいほど時代考証をやってね、ホントに寸分のツッコミ所もないほど作りこんでやっても、ビデオで撮ってる限りは全然時代劇に見えない。というか、次のシーンで志村けんのバカ殿が出てきても違和感がない。
Youtubeを見ると、まあせいぜい昭和初期くらいですが古い映像があります。あれだってフィルム特有の揺れや傷、それに加えて劣化があるから、ああ本当に当時の映像なんだなって判別ができる。
もしタイムマシンがあって昭和初期なり江戸時代なりにハイビジョンカメラを持ち込んで撮影できたとしても、おそらく偽物にしか見えないでしょう。
違う言い方をします。
昭和40年代くらいになるとカラービデオで撮影されたドラマが結構あって、現存しているものはスカパーなんかで再放送されていますが、たしかにハイビジョンではないけど、とてもじゃないけど40年とか前に撮影されたものだとは思えない。当時のメイキャップをして服装もそれらしくして、セットもちゃんとやった「最近作られたドラマ」に見えてしまう。
人間の脳というのは長年の刷り込みのせいなのか、ビデオ撮影されたものは「最近のもの」と認識してしまう。ではフィルム撮影されたものはというと、昔の時代に見える、のではなく「時代が消える」効果があるんじゃないでしょうか。
時代劇なんか絶対「最近のもの」って認識されたらダメでしょ。バカ殿じゃないけど、どうしても「チョンマゲつけて遊んでる人たち」に見えてしまう。もちろん時代劇に限らず、虚構の世界を大前提としてる設定の話はフィルムで撮らないと見るに耐えないのです。
ビデオで撮影されたものをフィルタ加工してフィルムライクにする、なんてのも昔からある。でも今ひとつ食い足りないのは、粒子や揺れ、色深度といった部分にばっかり目がいって、いやそれらがフィルムライクにするのに重要なことだとはわかっているのですが、スタート地点が「どうやったらフィルムっぽく見えるか」ではなく「どうやったら時代が消えるか」でなければならない。
別にフィルムぽくなくてもいいと思うのですよ。いやフィルムぽくする方が近道なんだろうけど、最終的に「あれ?これいつの映像? あ、でも東京オリンピック2020まであと××日って看板が出てるから最近か」みたいなのにならないと、ね。
なんつーか、もっと「虚構の世界」ってもんを大事にして欲しい。生々しせればいいってもんじゃない。ビデオがリアルとするならフィルムはリアリティ。時代劇をはじめとするファンタジーの世界にリアルはいらない。黒澤だってリアリティのある時代劇を目指したけど、リアルな時代劇は作ろうとしなかったわけで。
もし、もしね、某浦安にある某テーマパークの某ミ○キーなんちゃらが、すんげぇリアルなネズミの顔だったら、どうします?ま、極論だけど、そういうことなんですよねぇ。