美食家への道
FirstUPDATE2014.2.5
@Scribble #Scribble2014 #食べ物 @戦前 単ページ 贅沢 質素 評判の店

こないだ古川ロッパのことを書きましたが、ロッパは「コメディアン」「文化人」以外に「美食家」としての顔もありました。(美食家は文化人に含まれるのか?含まれそうな気もするけど、まあいいや)

「古川ロッパ昭和日記」を読んでると、とにかく毎日のように「美食」しています。え?この時代からこんな料理を出す店があったの?と驚くこともしばしばで、戦前ですでにボロネーゼを食べているなど、あるところにはあったんだって感じです。
そういえばアタシの亡くなった叔父も、まあ美食家の範疇に入ると思います。
ロッパにしろ叔父にしろ共通しているのは「美味いものを食うのに値段は関係ない」という姿勢です。というと「金に糸目をつけない」みたいなイメージですが、違います。高かろうが安かろうが美味いもんは美味いと認める。安いからダメ、高いから美味いに決まってる、そんな決め付けはけしてせず、自分の舌のみを信じて美味いものを探していました。

翻ってアタシの話ですが、たとえば「どんな料理が好き?」と聞かれると非常に困ってしまう。
こないだマツコがテレビでふわふわトロトロでデミグラスソースがかかったオムライスが許せない、昔ながらのオムライスを食わせろと熱く語ってましたが、こんなんアタシからすればどっちでもいいとしかいいようがない。
ふわふわトロトロであろうが、昔ながらであろうが、美味けりゃどっちでもいいんです。逆にいえば不味ければどっちでもダメ。
だからどんな料理が好きと聞かれたら「美味い料理」としか答えようがないわけで。答えになってないのは自覚しているのですが、どうしようもない。
なんかね、メニューで決めつけるのは違うような気がするんです。

さて

「オレが本当に美味い○○を食わせてやる」

「ちょっとォ~、山岡さんどこまで行くんですかァ~?」(船ドドドッ!)

式の話をします。
アタシが子供の頃の話ですが、父親が釣りが好きで、よくカレイなんかを釣ってきてたわけです。んで、まあ、カレイといえば、普通は煮付けにしますわな。
うちの母親の煮付けってのは非常に甘辛いやつで、正直子供が喜んで食べるようなシロモノではない。それ以来、魚の煮付け?それはちょっと・・・となってしまったわけです。
ところが、いまから7、8年ほど前でしょうか。とある家にお呼ばれする機会がありまして、メインディッシュがカレイの煮付けだという。ああ、せっかくなら塩焼きか唐揚げにしてほしいな、と。といってもお呼ばれなんだから、食べなきゃしょうがないわけで。

んで食べてビックリしたわけです。美味い!これ、本当に煮付け?あのアタシが毛嫌いしてた?とね。
作ってくれたのは、料理人でもなんでもない、普通の主婦の人です。もちろん料理上手ってのは聞かされてたのですが、煮付けといってもギトギトじゃない、あっさりした味付けで、魚の旨味が増幅されてるような感じで、アタシの煮付けへの苦手意識は完全になくなった、というかむしろ好物にすらなってしまいました。
と同時に「苦手なのは煮付けという料理じゃない。母親が作った煮付けなのだ」と認識し、調理法だけで決め付けちゃダメだなと。
これだけだとアタシも美食家の範疇に入りそうなもんですが、やっぱり、どう考えても美食家ではない。
理由は「面倒くさがり」というひと言に尽きます。

例をあげます。スプレッド、パンに塗るアレです。世の中には美味いバターがいろいろある。が、やっぱそれなりのものは、それなりの物を扱ってる店に行かないと置いてない。
ここで本当の美食家なら、面倒くさがらずに美味いバターの売ってる店まで出向くか、さもなければ「ならパンは食わない」となるのですが、アタシは適当なマーガリンで誤魔化してしまう。
外食もそうで、つい簡単に食べられるどんぶり系のファストフードにしてしまう。ファストフードってことはチェーン店でもあるわけで、たしかにチェーン店は楽です。味がわかっているので、たいした成功もしない代わりに大失敗もしない。
美食家っていうと「美味いものしか食わない」みたいに思われがちですが、これは絶対に違う。むしろ不味いものを食う機会も多い。何故なら美食家はチャレンジャーともいえるからです。

ロッパの日記にも「名物食堂」という、これは「評判の店」と言い換えてもいいのですが、実際に行ってチャレンジを繰り返しています。また何の評判もない店でもアンテナに引っかかったら、やっぱり入ります。
評判だからといって必ずしも美味いわけじゃない。評判がない店も必ずしも不味いわけじゃない。すべては自分の舌次第です。美味いとみるや何度か足を運び、不味いとなると(止むを得ない場合を除いて)二度と行かない。これを繰り返す。
となるとどうしても人より不味いものを食う機会も多くなってしまう。しかしそれをしないと本当に美味いものにありつけないし、本当の美食家にはなれない。(ついでにいうと、美味いとわかってる店にだけ行って、美味いとわかってるメニューだけ食うのは美食でもなんでもないからね)

もうこれは業といってもいい。あるいは執念か。とにかくアタシのような「まあいいか」とチェーン店に頼るような自堕落な人間は、とてもじゃないけど美食家にはなれない。
いや、それでも、美食家になれた方がいいに決まってる。無理だけど。どうせ人生の楽しみの半分は食うことなんだから。







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