島倉千代子の歌で「人生いろいろ」というヒット曲があります。ヒットしたのは1980年代後半。正直、時代に取り残されたような存在だった島倉千代子が何故大ヒットを生むことができたか。
こんなんその時代を生きた人なら容易く答えられる話です。
当時、ビートたけしを中心にして、そして番組によってたけしと肩を並べるほどの存在になった明石家さんまや漫才ブームの残党による「オレたち!ひょうきん族」という番組がありました。
その中に「ひょうきんベストテン」というコーナーがあり、たまに本人が出ることがありましたが基本出演者によるモノマネで成り立っていました。
そしてこのコーナーで山田邦子が島倉千代子のモノマネで、当時の最新曲「人生いろいろ」をしつこく歌ったことから人気に火が付いたのです。
このことはウィキペディアでも軽く触れられていますが、この時代を生きた人からすれば当たり前すぎて「あれはひょうきん族で山田邦子が」なんて語ることさえしないレベルなのです。
そういえば先日、年配の人と話をさせてもらった時に学生紛争について聞かせてもらいました。いわゆる1970年安保の話です。
燃え上がるような紛争の様子はモノの本を読めば、いや当時を扱ったテレビを見ていれば必ず出てくる映像です。
ゲバ棒片手に投石する学生
完全武装の機動隊
炎上する大学校舎
これらは定番といっていい。
しかし彼らのその後の姿をアタシは知らない。あそこまで燃え盛った紛争が何故一気に収束したか、その事情がもうひとつ飲み込めなかったんです。
もちろん安保が可決されたことは知っています。しかしだからといってあれだけのエネルギーが簡単に散っていったのはどういうことだろうと。
その人は「ああ、もうそんなこともわからなくなってるのか」と前置きした上で事情を説明してくれました。
安保の可決、内ゲバによる内部からの崩壊、また年齢によるもの(人間は年齢を重ねますから大学から離れていく)もあります。が、それだけではなかった。
安保可決後、ベトナム戦争を主議題にする動きがあったそうですが、遠い話すぎてピンときづらい。そこで学費に関しての運動へ移ろうとしたらしいのです。ま。たしかに身近な話ではあります。
しかし国家の問題から学費とは、いくらなんでも矮小化しすぎで、大半の学生は醒めざるをえなかった、みたいな感じだったそうです。
これも当時を生きた人なら当たり前レベルの話なのかもしれません。しかしヘルメットを被ってゲバ棒を持った学生は、その後こんな人生を歩んでいきました、なんてことは本には書いてないし、映像にも残っていない。わずかにあるのは、その残党かどうかもよくわからない連合赤軍絡みのことだけで、しかし彼らはあくまで特殊な一部の人でしかない。
アタシは個人的趣味と実益を兼ねて、昭和10年代から30年代の「ごく普通の人々の生活」をいろいろ調べていますが、これまた当たり前すぎることだからか、あまりわからないのです。
後の世代が聞きたい、いや聞いて伝承しなければいけないのは、文献にも映像にも残ってないような、当時の人にとっては当たり前の話なんです。これは言葉による伝承でしか残っていかない。
でも本当に人間が前に進むには、当たり前の伝承があってこそ、その積み重ねをわかっていてこそ、だと思うんですがね。