朝ドラ「あまちゃん」が始まって2ヶ月が経ちました。まあここまでは順調といっていいと思います。
NHKの惹句のように「クドカン節炸裂」とはなってないように思うのですが、要所を押さえた脚本であり、クドカン好みの役者をキャスティングしたのも勝因でしょう。
しかしあまちゃんの面白さを支えているのは「丹念に取材をしている」のが痛いほどわかるところです。
Twitterにだけですが、飛行機の機内上映で見た「踊る大捜査線 THE FINAL」の出来の悪さを腐したことがあります。
とにかく脚本が論外だったんですけど、元々「踊る大捜査線」の良さというか画期的だったのは刑事ドラマにあるまじき「取材を丹念にした」ところから発していたはずなんです。
犯人をホシといわない、本店と支店といった関係性など、刑事ドラマの常識にとらわれない、取材から紡ぎ出された新しさが全編に漲っていました。
シリーズ化を重ねるにつれ、そういった取材を重ねたゆえの面白さがどんどん減少し、ある意味「これじゃ終わるしかないわな」と思わせるものになってしまったのは残念すぎるけど。
アタシがしつこくいってるのは、フィクションであれノンフィクションであれ、取材をしてない作品はつまらないと決めてかかっていい。
人間の頭の中だけで考えられることなんてたかがしれてます。が、取材をすることによって厚みが違ってくる。
もちろん取材をしない作品の面白さもあると思います。だけれどもそういうのはネット全盛時代には通用しない。
ブログと金を払って見る読むものの最大の違いは「取材・調査をしたか否か」だけといっても過言じゃない。どれだけ面白い文章でも取材や調査をせずに書いたものは金を取れないのです。
このブログも当然のように取材もなんもせずアタシの頭にあることだけを書いています。しかし手前味噌ですが、アタシが関わった「植木等ショー・クレージーTV大全」はしつこいくらい丹念な取材・調査から生み出されたものです。
巻末のデータはもちろんですが、本文では2、3行で済まされている植木等のそっくりさんのくだりなんかも、アタシがご本人に電話で1時間以上に渡ってお話を聞かせていた部分の抜粋なんです。
その積み重ねが作品としての厚みと迫力になるのです。
「変に取材をしてしまうと上手く表現できなくなる」という人もいるでしょう。しかしその程度で表現できないとしたら、やっぱり見る読む価値はない。取材したことを自分の中に上手く取り込んでこそ、初めて金を取れるものが作れると思うのですがね。
「あまちゃん」は少なくとも21世紀になってからもっともハマったドラマなのに、あんまり書いてないんですよ。 というかTwitterには結構書いてるんだけど、せめて「まとめ」ような文章を書いておくべきだったと後悔している。 って昔の文章を読んでたら「もったいない!」ばっかりだな。 |
---|
@Scribble #Scribble2013 #物申す #テレビドラマ #インターネット 単ページ あまちゃん 宮藤官九郎 取材 PostScript #ノンフィクション #朝ドラ #X/Twitter #公共交通機関 tumblr