津山三十人殺しとファイト!を結ぶ線
FirstUPDATE2012.5.19
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 戦前期における娯楽、というとどんなイメージをお持ちでしょうか。
 まァモノの本を読めば分かりますが、1930年代くらいになると今とそれほど違うわけではない。もちろんテレビやインターネットは存在しないけど、映画も歌もステージも普通にあったわけでして。

 それ以前、となると、さすがにいろいろ違います。
 しかし、永久不滅の娯楽と言っていいと思うのですが、おそらく太古の昔から、少なくとも江戸時代からは確実にある娯楽として「性風俗」ってのがあるわけです。
 なんてことを書くとフェミニストの人に何て言われるかわからないけど、歴史的に男性を性的にもてなすサービスは綿々と続いてきた。女性はもちろん男色を好む人向けのサービスも江戸時代にはすでにあったんだからね。
 しかしこれはあくまで都会の話。田舎には遊郭のような場所はありません。ま、当たり前ですが。
 だからと言って性的な娯楽がないと思うのは間違いで、田舎は田舎なりの性的娯楽を楽しんでいたのです。

 ただし江戸時代くらいまではそこまで性的知識が成熟しているわけではない。性的娯楽イコール性交、つまりセックスそのもの以外はあり得なかった。やはりフェティシズム的なことは性文化の成熟が不可欠なんです。
 例えば覗き行為、なんて性癖があります。かつては狭い庭にタライを置き、そこで行水をするのは普通のことでした。もちろん女性だって真っ裸で行水をしていた。
 ところが明治時代になるとこれを覗いて喜ぶ性癖の人間が出没します。
 頻繁に覗き行為を行っていた男は逮捕された。彼の名前は池田亀太郎。彼は<出っ歯>という身体的特徴があったことから「覗き行為=出っ歯の亀太郎=出歯亀」(転じてスケベや変態的性的趣向として出歯亀という言葉が用いられることもある)という符号まで誕生してしまったわけでして。

 ま、覗き行為なんてのは、実際にやる人間はかなりイカレてると思うけど、現代男性なら誰でも欲望はあると言っていい。本当にやるから問題なだけで、欲望レベルならさすがに「変態的な発想」とは言えないと思うんです。
 これはね、性文化が成熟してフェティシズム的欲望が多様になった証拠でしょう。というか、今ではよほどのことでない限り「変態的な発想」と思われなくなったと言っていい。ほんの数十年前まではフ◯ラチオとか文句なしの変態行為だったのにね。
 かつては性的な侮辱は絶対やってはいけないものでした。それこそ風俗嬢が男性のイチモツを馬鹿にする、なんてことはご法度だったわけです。
 それがSMなんてもんが出てきて、女王様なる女性が男性を一方的に侮蔑する、それにたいしてやられた男性が性的興奮をおぼえる、なんてのも「やったことはないし、やりたくもないけど、そんな世界は知ってる」のが当たり前になった。つまりこれも変態行為とは言い辛い。

 何が言いたいのかというと、こういったことに理解があるのは、極めて現代的な現象なのです。
 いやもう、イチモツを侮蔑されるまでいかなくても、男性的でないことにたいして女性が口にするのを憚られた。何故ならものすごい怒りを買ってしまうから。
 都井睦雄、という男がいました。昭和のはじめの話です。彼が生まれ育ったのは岡山県の、今で言えば津山市にあたる場所です。
 彼は結核その他の理由で、村の女性との関係を断たれたらしい。真偽のほどはさだかではないけど、男性扱い出来ないことにたいする侮蔑的な言葉を女性から吐かれたとも言われています。

 これも事実関係がさだかではないとは言え、都井睦雄が育った村は<夜這い>が常態化していた、という話があります。
 アタシはね、夜這いというものを決定的に誤解していた。出歯亀、つまり覗き行為ですね、をはたらくうちにムラムラきて女性を襲う、というようなイメージだった。
 しかし実態はまったく違った。夜這いとはいわば風習のようなもので、つまりは村という閉塞的な場所における性的な娯楽だったのです。
 今の常識から考えるなら、極めて性的に乱れた <みだらな村>ということになってしまうのですが、都会と田舎の差異が今と比べものにならないほど大きかった時代に今の常識を当てはめるのは間違っています。
 おそらく都井睦雄の育った村だけでなく、日本中に似たような風習のある村が存在していたであろう、と考えるのが妥当であり、そんな村だからこんな事件が起こった、と考えるのは誤りです。

 しかしそんな村で、女性関係を拒絶された男の悲哀と怒りは、今の感覚でも十分理解出来る。理解出来たからって彼がやったことを許せるとかという話ではないんだけど、まったく同情がないかと言えば違うわけでして。
 思わせぶりな書き方をしてしまいましたが、都井睦雄の怒りは頂点に達し、彼は村人を次々殺害、結果として30人もの大量殺人を敢行してしまうのです。
 話としては逸れるので以降の詳細は割愛しますが、犯行後、都井睦雄は自殺していますし、都井睦雄との関係が噂された女性も村人も、村ぐるみの性的な乱れにかんしては否定しています。
 ま、そりゃ否定するよな。当時だって別にエバれた風習ではなかったんだし、ましてや時代が変わって「狂ってたのは都井睦雄だけでなく村人全員だ」なんて思われたくないだろうからね。

 さてさて、話は急激に変わります。
 2002年になってアタシは生まれて初めて「東京都内で通勤する」というのを味わったのですが、聞きしに勝る凄さで、ラッシュ時の混雑ぶりは生まれ育った関西では味わったことのないものでした。
 それより驚いたのが、みんな、本当に「死んだ目」をしていたことで、ティーアップの漫才のネタで言えば「死んだ魚みたいな目やないやろ。死んだ魚の目みたいな目やろ」ってことになるか。(←これ、よく考えたらダウンタウンの「カモシカのような足」のネタのバリエーションだな)
 同僚のひとりがそんな光景を話しながら奇妙なことを言い出した。
 「あれを見てると中島みゆきの歌を思い出す」と。
 同僚の言う「中島みゆきの歌」とは、名曲と誉れ高い「ファイト!」のことです。具体的には駅の階段で子供を突き飛ばした女性を目撃した、という箇所を指します。

 アタシは歌詞というものにはとんと興味のない人間ですが、中島みゆきだけは例外で、というのも彼女の歌をね、何というか、半分コミックソングのつもりで聴いているのです。

♪ みィちィにィ倒ォれてェ だッれかの名をォ
  呼びィ続ゥけたァことがァありますゥか~


 名曲「わかれうた」の出だしですが、何だか人生幸朗でさえもボヤくのを躊躇うんじゃないかと思うくらい、絶対あり得ないシチュエーションです。これはもうナンセンスと言って差し支えない。
 しかしまるでナックルのような、こんなコミックソングまがいのものに混じって、165キロの豪速球を投げてくるのも中島みゆきの中島みゆきたる所以でして、「ファイト!」はあきらかに豪速球の系譜に入る名曲です。
 しかし完全に豪速球かというと<微妙にボールが動いている>ムービングボールで、<ファイト>といういくらでもウワベだけで使えそうな言葉をパロディ的に使い、しかし人間のエゴを残酷なほど描くことで、今度は<ファイト>が「そんなことしか言えない、ギリギリの人間が絞り出した言葉」に聴こえてくるんです。
 もうこれだけで中島みゆきが文句なしの天才だと言うのがわかるっつーか。

 この歌のクライマックスは「♪ 薄情もんが田舎のォ町にィ」からの箇所でしょう。
 要するに「東京に旅立とうと決意した少女が、村の人間に脅迫まがいに村を出ることを拒絶されて、結局東京行きを諦める」というような内容なのですが、最初この歌詞を聴いた時はショックだった。いや、戦慄が走ったと言ってもいい。
 方言からしてあきらかに九州が舞台になっており、アタシは似たような体験をしたわけではないけど「ここならそんなことが起こりかねない」みたいな話を聞いていたので、よりリアリティを感じたんです。
 とにかく、しばらくの間、東京行きを決意した少女に感情移入し、脅迫までして東京行きを阻止した村の人間を「一切理解出来ない、自分とは敵対する存在」として認識していたと。

 ただ疑問がなかったわけではありません。
 東京行きを反対する人は「お前の身内も住めんように」と言ってることからしても、身内ではないわけですよ。なら何故、身内でもない人間がそこまで強硬に反対出来るのか、そして何故受け入れざるを得なかったのか。それがどうしても理解出来なかった。
 しかしある日、閃いた。「ファイト!」という歌と津山30人殺しという事件が突然リンクしたんです。
 先ほど「都井睦雄が育った村は<夜這い>という、現代で考えるならかなり性的に乱れた風習があった」と書きました。
 それは、まァ、そんな時代だったんだ、で済ますことは出来ます。でも新たな疑問も湧いてきてね。つまり「じゃあ、子供の存在はどうなるんだ」という。それだけ性的な乱れがあれば、もう誰の子供かはっきりしないのではないか?というね。
 しかし良くしたもので(別に良かァないけど)、子供は<その夫婦の子供>というよりは<村の子供>なんですよ。だから村人全員で育てる感覚があったっつーか。

 これなら「ファイト!」の謎も氷解する。身内でないにもかかわらず身内以上に介入してくる、身内もそれを許しているのは、「ファイト!」の登場人物の女性はあくまで<村の子>なんです。村の子なんだから、いずれは<村の大人>になって命が尽きるまで村を、そして村の子を支えていく。
 それでもう、おそらくその村はそれで何百年やってきたんだろうし、急に「自分ひとりだけ村を離れる」というのは村の常識からすれば考えられないことなんじゃないかと。
 たしかにね、ものすごく閉鎖的だとは思うんですよ。しかし昔は村には村の常識があった。そうやって生き長らえてきたんだから、その常識を守ろうとするのは当然とも言える。
 「ファイト!」の登場人物の子はね、いわば常識はずれの行動をしようとした突然変異種なんです。馬鹿な、何を血迷ったことを言ってるんだ。それで今までやってきたのにお前は村の常識を壊す気か。そんな人間の身内をこの村に置いておくわけにはいかない、みたいな。

 都井睦雄は誰がどう見ても加害者です。同情すべき点は多々あるけど、加害者であるというのは変わらない。
 それで言えば、「ファイト!」の子も都井睦雄と同じなのかもしれない。別に性的な嫌がらせをされたってことではないのかもしれないけど、村を破壊しようとしたってことで言えば同類なのかもしれないなと。
 もちろん、都井睦雄のやったことは法に触れることで「ファイト!」の子はただ村を離れようとしただけです。だから「ファイト!」の子は被害者的立場として、歌を聴くものに受け止められたと思う。
 しかしさ、中島みゆきだよ?そう単純なことなのかねぇ。そうやって一面だけで捉えていると、影で中島みゆきがニヤッと笑う顔が浮かんでくるんですよね。

元エントリも同じエントリタイトルなのですが、実は「津山三十人殺しを読み解かない」という原文のさらに原文をベースにして増補しました。
もちろん原文の原文はボツになってるんだけど、ボツネタが活きた極めてレアケースです。




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