もっとも難しい笑い
FirstUPDATE2011.11.3
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「泣かせるのは簡単、文芸物も簡単。でも笑わせるのは一番難しい」とはクレージー映画の監督だった故・古澤憲吾の言葉です。

ま、古澤憲吾が泣かせる映画とか文芸物が撮れたとは思わないけど、それはまあいい。
とにかく、ただでさえいろいろ種類がある「笑い」の中で、もっとも難しい笑いとは何か、と。
これはもうはっきりしている。それは「毒の強い笑い」です。
「毒を吐いて笑いをとる」
いったいどこが難しいのでしょうか。
「毒を吐く」ということは、必ず人であったり組織であったり物であったり、なんらかの攻撃対象が存在するわけです。いくら攻撃対象が万人にとって敵視される存在であれ、何らかの配慮がなければ笑いとして成立しない。

例を上げて説明しましょう。
今の政権に不満を持ってる人はおそらく一定数いると思われますが、それを前提にしても、たとえば
「今の内閣は馬鹿ばっか」
これでは100%笑いは生まれません。
悪口と毒舌で笑いを取るのは似て非なるもので、悪口は自分の思ってることをいえばいいだけなんだけど、毒舌で笑いを取るとなると無数の気配りが必要なのです。
まず攻撃対象となる相手が不快感を覚えるようなら、それは毒舌として失格です。相手が思わず苦笑を浮かべるレベルでないといけない。
そして攻撃対象を好意的に眺める人に嫌悪感を持たれちゃいけない。これまた難しい。

それを考えると有吉のあだ名とか、いかに絶妙かわかると思います。有吉は基本的に「本人の前で」いいます。しかし相手は怒らない。それは笑いとして成立するギリギリのラインを保てているからです。
有吉であれ、たけしであれ、古くは上岡龍太郎であれ、いわゆる「毒舌芸人」といわれる人は、ギリギリのラインをよくわかってました。それでも一部のジョークと捉えられない人からはバッシングされたのです。

実はここからが本題です。
毒舌を売りにする芸人ですら、笑いとして成立させているにも関わらずバッシングされる。
これが素人の場合はどうでしょうか。
はっきりいって素人が毒を吐いて笑いを取るなんて不可能なのです。
毒舌芸人は「この人はそういう芸風だ」と認識されてからでないと、いくら芸になっていても成立させるのは難しい。いわば下駄を履いて初めて成り立つものです。
素人はまず「そういう芸風」とはならない。何故なら芸人ではないから。
まして、です。「本人を目の前に毒を吐いて相手が苦笑するネタ、なおかつ絶妙な呼吸で周囲を笑わせる」そんな高等な能力を持った素人は、いない、と言い切っていい。

ところがここを勘違いしている人がたまにいる。
おそらくこういう人は、毒舌を売りにする芸人のファンなのでしょう。だから、つい、真似したくなる。が、能力がないのに真似するもんだから、毒舌でも何でもなく、ただの悪口にしかなってない。
相手がムッとすると(それが正しい反応)、まるで「何でこの人はジョークが理解できないんだ」というような顔をする。
さっきも書いた通り、世の中には一切ジョークを理解できない人間はいます。しかしそれは極少数であり、大抵の人はジョークを理解しようと試みる。それでもジョークと受け取られないのは、もう単に、ジョークになってないんですね。

もう一度いいます。素人に毒舌芸は無理です。その人がどんな芸人が好きだろうと、どんなタイプの笑いが好きだろうと関係ないわけでね。

ここでは書いてないけど、毒舌芸って「<素>の人柄は「優しい人」を超えて、超が付くお人好しレベルの<芸人>でないと成立しない」というのがアタシの考えです。
超が付くお人好しでもない、ましてや芸人でもない人が毒舌を言いたがるとか、こういう人には「とにかく一回落ち着け」と言いたいわ。




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