スティーブ・ジョブズが逝去しましたが、ようやく落ち着いてきた感はあるとはいえ、直後は追悼ツイート(ありゃ、駄洒落になってしまった)が溢れてました。
アタシはジョブズがCEOの退任を発表した時にツイートしたのでもう改めて何か書かなくていいと思ってたのですが、やはりこの人には思い入れがある。
ジョブズの人生のハイライトは、初代iMacの発表の時だったんじゃないかと。いや、アタシが勝手に思ってるだけで、同意してくれる人は少ないだろうけど。
かつてアタシはマイコン少年でした、てな話は以前書いたので割愛しますが、それからしばらく完全にパソコンから離れていたんですね。
ところが某社に入社して、何だかわからないうちにDTPなるものを覚えさせられて、当時は、今もですが、DTPといえばMacだったわけで。
しかし当時、もうMacはダメだろ、みたいな空気が支配的でして。
もしかしたらWindowsでDTPをやらなきゃいけないかもしれない、と。
その空気を一変させたのがiMacだったんです。
アタシがいた会社は、G3機は一台もなく、一応「高性能機」で通っていたマシンでさえ、かろうじてレベルのPowerPC。どころか68KMacすら現役で頑張っていたわけです。
そんな中、G3を搭載し、当時としては安価だったiMacは画期的でした。むろんフロッピーすらないマシンを会社で導入する、なんて話は浮上しませんでしたが、もしかしたらMacが蘇るかもしれない、そう強く予感させるには十分でした。
ジョブズはその後も、いや、iMacは序章に過ぎなかったわけで、後々とんでもなくインパクトのある製品を次々に発表していくわけですが、空気を一変させたという意味においてiMac発表時のインパクトは最強だったと思うのですよ。
一度追い出されたAppleに、ジョブズは復帰した。しかし返り咲いたAppleは売り上げでも将来性でも地に落ちていました。
実際iMacにはものすごい新技術が搭載されていたわけではない。むしろ古いインターフェイスをバッサリ切り捨てただけ。
ところがそんな目新しさのない中身を、画期的なデザインと、(あくまで当時とすれば)画期的な値段で、とんでもないものに仕立てあげた。
切り口を変えれば、画期的でなくても画期的に「見せる」ことはできる、これは元任天堂の横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」に通ずるものがあります。
ジョブズは「魔法」という言葉にものすごくこだわっていたんじゃないでしょうか。「まるで魔法のようだ」が最高の褒め言葉だったんじゃないかと。
むろん本当の魔法じゃない。今ある技術をもってして、いかに魔法のように見せるか、それに命をかけていた気がします。
おそらくWindowsユーザーは、そしてマイクロソフトや関連メーカーも、最も望んでいるのは高性能や安定性でしょう。
ジョブズに高性能や安定性の志向がないわけじゃない。でもそれだけじゃ気に食わない。
「魔法のような」高性能だったり、「魔法のような」安定性でないとダメなんですね。(この辺は成功したともいえるし失敗したともいえる)
テレビでiPadを使って手品をやる、なんて人を見たことがありますが、ある意味非常にジョブズの志向を具現化した芸ですよね。
ジョブズ亡き後のAppleがどうなるかの話題は尽きませんが、新たなカテゴリの商品を創る際、Appleの幹部に「それはまるで魔法に見えるのか」を基準にすれば大丈夫な気がします。
スティーブ・ジョブズ、あなたにひとつだけ肩書をつけるなら、技術者でもプロダクトデザイナーでもなく、最も相応しいのは「魔法使い」です。
ホンモノの魔法じゃない。でもホンモノの魔法と同じくらい人々に夢を与えたあなたには魔法使い以外の肩書はないと思うのです。