これは谷啓さんが逝去されてすぐに書いた追悼文です。
何しろこの頃アタシは「植木等ショー!クレージーTV大全」(洋泉社刊)の調査の真っ最中の頃でして、この日は国会図書館ではなく、国会図書館よりは近隣の、桜木町駅から徒歩10分ほどの場所にある神奈川県立図書館で調査をしておりました。
ひと通り調査を終えて、さ、帰るか、とスマホ(もうこの頃からね、スマホだったんですよ。WindowsMobileってヤツだけど)を取り出して、ニュースを閲覧すると、とんでもない訃報が飛び込んできて・・・。
何しろ死ぬ思いでクレージーキャッツのことを調べており、もう頭の中の全部をクレージーキャッツで占められている時です。
そんなタイミングで、谷啓さんの訃報を聞いた。
たしかその日は、一般に「ガチョン侍漫遊記」と言われた番組を調べており、そのせいもあって、軽いパニックになったんです。
(余談ですが、この日の調査で番組の正式タイトルが「ガチョン侍武者修行」だとわかった)
とにかく、そんな精神状態だったことを考慮して読んでいただけると幸いです。
これも植木等さんの追悼文同様、ほぼ原文のままです。ではどうぞ。
昨日、妙なことを思い出しました。
あれはハナさんが逝去されてしばらく経った頃だったと思います。土曜の朝のワイドショーに谷啓がゲストで出たことがありました。たぶん大阪制作の番組だったはずです。
谷啓の表情は心なしか沈んでおり、それでも必死でハナさんのことを語っていました。
そんな時司会者がとんでもない注文を出しました。
「ガチョーンをやってもらえませんか」
もうまったく、全然、微塵も、そういうことをするムードでもなければ、谷啓からすれば、そんな心境でもなかったはずです。
しかし谷啓はガチョーンをやったのです。
もうみなさんご存知でしょうが、谷啓さんが逝去されました。
自分は谷啓さんと実際にお会いしたことはありません。テレビや映画で見ていただけです。でもこの人の「人の善さ」はわかります。
営業用でも何でもない、根っからの人の善さ。
所ジョージは谷さんを評して「あの人は何にも断ることができない」といっていましたが、それでも、です。
先のガチョーンの件なんか、いくら何でも断るはずです。
それでも断らない。なぜなら、と問えば、谷さんだから、としかいいようがない。
谷啓さんは植木さんとはまた違った意味での天才で、感覚の人でした。今ならLDと診断されてもおかしくありません。
でも谷さんの超幼児的感覚が、クレージーというグループを支えていたのは紛れもない事実です。
何を書いているのか自分でもわからなくなってきました。
徹底的に人が善く、感覚的で、しかもテクニックにも秀でていた谷啓さん。
とにかく今は信じられない気持ちでいっぱいです。
追悼文ってホントに難しくて、思い入れの強い人の場合だととくに支離滅裂になりやすい。まさしく谷啓さんの時はそうだったんだけど、ま、こういう「如何にも混乱してます」って文章のが生々しくてリアルなんですが。 |
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