前回「ドラマもほとんど見てない」と書きましたが、猛烈にハマったドラマは置いといて、そこそこハマったドラマのことでも書こうかなと。
そのドラマとは「ありがとう」の第三部です。
これはTBSチャンネル、つまりスカパーでやってただけなので、まあ実際見ていた人は少ないと思います。
とはいえ「ありがとう」といえば、とんでもない視聴率を取った番組、としてしばしば取り上げられることがありますから
名前だけなら結構の方が知ってるんじゃないでしょうか。
アタシも似た様なもんで、名前を聞いて、あ、水前寺清子のヤツね。えらい視聴率を取ったらしいヤツね。その第三弾ね、くらいの知識でした。
だから適当に、何話だったかも忘れたくらい途中から見始めて、たしか真ん中くらいだったかな。
しかもしばらくは見たり見なかったりって感じで、到底ハマってるとは言い難い感じでした。
それが、何と言うか、突然バケた、といえばいいのでしょうか。いや、何かわからんけど急に面白くなりだして、ドラマが、というよりアタシの感覚的にね。
これはいわゆる石井ふく子プロデュース作品であり、石井ふく子といえば、先ごろシリーズ終了が発表された「渡る世間は鬼ばかり」の、といえばわかりやすいのでしょうか。
つまりはわかりやすいホームドラマ、なのですが、ハマってからちゃんと見ると、何か妙にイメージと違うのです。
まずハナシがない。ま、まったくないことはないのですが、展開が異様に遅い。
じゃどうやってドラマを回していってるかというと、もう人海戦術というか、様々な登場人物が入れ替わり立ち代り出てきて、コントの如くシーンを消化する。(実際大抵シーン毎にオチがある)
アタシが見たのは途中からなのですが「魚屋のパート」、「肉屋と酒屋のパート」、「焼鳥屋のパート」の3つのシーンが代わる代わる出てくる、といった感じなのです。
しかもこれらはたいしてリンクしているわけでもなく、個人的にヒョーっと思ったのは、こういうドラマって実際のカラミのシーンがなくても、設定上登場人物が仲が良かったり、よく知ってたりするじゃないですか。
ところが最終回間際に「あんまり付き合いないからよく知らない」というセリフが出てくるんですよ。もちろん近所の人で存在は認識しているんだけど。
ドラマが動かないのは明確な理由があって、登場人物が基本的にみな受動的なんですよ。
主人公の水前寺清子はちゃきちゃきの江戸っ子って設定なんだけど受動的。
ほっていおたらいつまで経ってもドラマが動かないんだけど、その中に、さっき書いたパートごとにひとりずつ能動的な人物が配置されている。
魚屋のパートだったら大空真弓、肉屋と魚屋だったら沢田雅美、焼鳥屋だったら佐良直美、といった具合に。
ドラマを進行させる段になったら、彼女たちが前面に出てきて話を動かしているんですね。つまり普段は彼女らはあまり表に出てこない。
普段やけに表に出てこようとする前田吟と園佳也子は引っ掻き回し役で、一見ドラマを動かしそうなんだけど、この人たちがいくら暴れまわっても元通りに収拾する算段になってるのはうまいなあと思いますね。
あと、ホームドラマ、それも「ありがとう」第三部は下町を舞台にしていて、濃厚な人付き合いとか人情が強調されそうなもんだけど、そんなことは全然ない。
思ってたよりずっとドライで都会的なんです。これは本当に意外でした。
これは脚本が平岩弓枝ってのが大きいんでしょうね。アタシのイメージしていた石井ふく子ドラマと違ったのは、やっぱり石井ふく子ドラマって橋田壽賀子のイメージが強かったですから。
もうひとつ。シリーズ第三弾とかになるといい加減ダレそうなもんだけど、微妙な仕掛けがいっぱい施してあってダレてないんですよ。
最終回の結婚式なんかもね、普通の結婚式じゃなくて合同結婚式。しかも仏前結婚式ってんだから。
仏前結婚式の存在は知っていても、実際に参列した人なんか一握りでしょうし、興味を持つなってのが無理でしょ。
そういうのが実にうまいなって。
うまいといえば、そしてドラマの「ありがとう」に触れるなら、どうしても水前寺清子歌唱による「ありがとうの歌」に触れないわけにはいかないんですが、それはまた次回。
「ありがとう」は録画してなかったことを本当に後悔しています。 どっちにしろ見始めたのが途中からなので中途半端になるんだけど、その後、まったくスカパーでやらなくなったのよ。次やったら絶対に録画するって決めてたのに、あれから10年以上経ったけど、一回もやってくれない。何でだ。 |
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