中島みゆきの「ひとり」の哀しみ
FirstUPDATE2010.4.22
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最近わけもなく引っかかっている歌がふたつあります。ひとつは次回に取っておくとして、もうひとつの中島みゆきの「ひとり」の話を。

どうも、中島みゆきの歌というのは、というか中島みゆきといえば失恋ソングの女王といわれているわけですが、どれもこれも悲しくない。
なんだか、悲惨すぎて、悲劇を大きく通り越して喜劇になってしまっている気がするんですよ。
アタシは女性じゃないのでわからないが、こんなのを失恋時に聴いても全然カタルシスなんかなさそうだし、むしろ逆に笑っちゃうんじゃないかと思ってしまう。
「わかれうた」なんてギャグでしょ。「道に倒れて」「誰かの名を呼び続けたことがありますか」って。真面目な映像化なんて絶対無理で、100%コントにしかならない、そんな歌詞で泣けるわけがない。
とまあ、失恋ソングとはいいながら、全然悲しくない、もし間違えて泣いてなんてしまったら、中島みゆきが、にやっと笑う顔が浮かびそうな感じすらするのですが、何事も例外というものがあるわけで。
それが「ひとり」です。

発売は1984年。さっき調べた。自分が高校生の頃ですが、リアルタイムで聴いた記憶がさっぱりない。だから当然リアルタイムでの評価も知らない。
一応シングルカットされている曲だし、その後に発売されたベスト盤にも、割合は少ないとはいえ収録されていたりして、代表曲にいれてもいいような気もするけど、知らない人の方がやっぱり多そうです。
悲しくない失恋ソング群の例外、なのだから、当然失恋ソングなんだけど、メジャー調で、非常に壮大なアレンジで、コレにかんしては中島みゆきがにやっとするような部分は微塵もないんです。
歌詞もいつもの恨み節満開ではなく、そもそも出だしからして「恨み言ならやめましょう」なのだから。
ところが、これが逆に、非常に悲しい。特に「どんな淋しい時でも頼れないのね」のフレーズはかなりグッとくる。

アタシはフッた経験は非常に少ないのでアレなんだけど(フラれた経験ばっかり。文句あるかコノヤロ)それでも男目線でフッた側の心境になると、何だか胸が締め付けられる気がする。
というか、もしかしたら、この歌でなら、カタルシスを感じることができるかもしれないな、と。
いや、これは女性側からしたら結構利用できると思う。カレシが別れを切り出しそうな時に、なにげにこの歌を聴かせたら、心境が変わる可能性すらある。逆に、淋しい時に頼れない?(関西弁でいうところの)知らんやん、と思ってしまうような人なら、むしろとっとと別れてしまった方がいいし。

何だかまとまってない気もするけど、次回をお楽しみに!

大々的に最後「次回をお楽しみに!」と書いてるけど「Sugame京浜」名義のブログはこの回で最終回です。
これ、いろいろ事情はあるんだけど、他に書くところもないのでここに全部書いてしまいます。
Sugame京浜用に書いたとおぼしい、書きかけのエントリが2、3本現存していることから推測しても、この後も一応はSugame京浜を更新する予定はあったようで、ただいろいろあって更新間隔が開いちゃったんです。
そんなタイミングで佐藤利明氏から「植木等ショーを中心としたクレージーキャッツのテレビ特化の書籍を作るんだけど参加しない?」と声をかけられた。
二つ返事で「やります!」と答えたのですが、アタシはあくまで「クレージーキャッツファンサイト・CrazyBeats管理人の<藪似>」として声をかけられたわけで、こうなると、ああ、ネット経由のつながりを考えたら、自分は<藪似>なんだ、と痛感させられた。
こうなるとね、Sugame京浜、なんていう変名でブログを書くことの意味を見失ったというか、だったらyabuniramiJAPAN(昔のサイト名)に戻してやった方がいいのでは、と思い始めたのです。
だから、ま、果てしなく中途半端で、まったく最終回らしくない内容ではあるんですが、これでSugame京浜を閉じようと。
結局Sugame京浜としてやったのは1年半。ま、変名のわりは続いた方じゃないかね。更新間隔は長いけど。




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