日本人というのはつくづく難しい人種だと思うと夜も眠れない。
前回、少しでも非があると思われる人物を徹底的に糾弾して、ああ、いい気持ち、みたいになる人が多い、てなことを書きましたが、実は逆もまた然りなのはどういうことだろう、と。
松本人志は著書の中で「寄付やボランティアをするなら、人知れずやりたい」と書いていたけど、これは少しおかしい。
気持ちはわかるんですよ。しかし「いいこと」をしても表立ってやりたくない、というのは、やはり少し変なんじゃないかと。
どうも日本人は(もしかしたら日本人だけじゃないかもしれないけど)、偽善ということに異様に敏感です。
多額の寄付をした人、ボランティアに積極的な人をすぐに「人気取り」だの「偽善者ぶりやがって」とことあげにしたがる。
はっきりいって有名人が寄付やボランティアをすることによってメリットはほとんどない。上記のように叩かれるのがオチです。
だからこそ余計に思う。何のメリットもない中、そういうことをしている人は本当に立派だと。
それよりも叩く側の心理です。
出る杭は打たれる、ではないけど、悪いと思われる人、良いことをしている人、見境なく、とりあえず出る杭は叩いておこうという発想なんだろうかね。
実際偽善というものは難しい。
本当に良いことすら偽善といわれる世の中なんですよ。偽善で世間を欺けるとは考えづらい。
もし可能だとすれば、もうこれは何もしないことです。
何もしない、目立たない人は、もうそれだけで「いい人」と思われる。
とはいえ本当に何もしないわけにはいかないので、陰でこっそりやる。それが良いことであれ、悪いことであれ。
以前日本全体がブラックボックス化しているという話を書きましたが(現注・当該エントリはオミット)、それもこれも目立つことイコール悪、という図式が無意識にあるからではないかね。
表立ってる人を叩くのは簡単です。しかしそれは崩壊の序章のように思える。
寄付やボランティアはますますやりづらくなるし、悪いことも「裏に回す」テクニックが巧妙になるだけです。
良いことも悪いことも、ブラックボックス化していいことは何もないんだけど、それに気づかず「ただ叩く」だけの人が、ひたすらあわれに思ってしまうっつーか。
以上ですキャップ!