アタシはね、人間の運命というか、損得は<声>で決まると思っているんですよ。
イケメンとか美女はトクだ、とは言われるけど、見栄えってのは磨かないと珠にはなれないんです。いくらイケメンでもダサいファッションをしてたり、美女の素質はあってもだらしない生活をしているとだらしないカラダになったりする。
けど声は、よほどの不摂生をしない限り保たれる。これはとんでもないことなんですよ。
イケメンや美女でもモテるモテないがあるように、声も、たとえば麒麟の川島のような声である必要はまったくない。そういういわゆる美声とは違う意味での「人を惹きつける声」ってのがね、たしかにあるんです。
アタシは植木等を深く敬愛していますが、植木等の最大の魅力はあの声だと思っている。つかあの声があったからこそ、数々の植木節や主演映画が成立したと思っているわけで。
東宝クレージー映画の中で個人的に最高傑作だと思う「ニッポン無責任野郎」の名台詞でいえば
「オッス!ご苦労さん!」
「いやぁ、時間の経つのは早いもんですなぁ!」
「ィやタケーなぁ!あのマダム、ロクなサービスもしないクセに!」
「ファイトファイト!ファイティング原田で行け!」
「ンフッ!そんなもんですかね!?」
もちろんこの映画のセリフは植木等に当て書きされたものですが、これらのセリフは植木等があの声で発しないと、面白くも可笑しくもないですよ。でも植木等が言うと「可笑しい」にとどまらず爆笑まで行ってしまう。
しかも植木等の声はただ単に可笑しいだけじゃない。
植木等映画というと、主人公がアレヨアレヨという間に出世を果たしてしまうのですが、コートームケーな設定でもさほど不自然さを感じないのは、あの声があるからなんです。
ものすごく変なことを言うようだけど、出世する声ってのはね、あるんです。もちろん異性にモテまくる声なんてのもある。植木等は両方を兼ね備えた声なので、いくらトントン拍子に出世しようが、女にモテまくろうが、ま、そりゃそうだよな、みたいな説得力があるっつーか。
アタシが「これは、年配からモテるだろうな」と思える声の持ち主は指原莉乃です。
指原莉乃はけして美声ではない。しかし年配の人が話していて安心出来る声質を持っている。ジジ殺しなんて言われるけど、それはあの声があればこそです。聞き疲れせず、もっと話を聞いてあげたいと思わせる声質と言えばいいのか。
声なんだから努力云々はあんまり関係ないんです。いわば天賦の才能と言っていい。それを指原莉乃は持っていた。だからこそ自分の言葉で喋ることが出来るバラエティ番組でのし上がれたと思うわけで。
こうなると容姿などまるで関係がなくなる。つかよほど醜悪でない限りは下手なイケメン美女よりもモテることになるんじゃないかと。
さらに言えば、もう「容姿自体は見たこともないけど、声だけでヤラれた」なんてことも出てきます。
一番わかりやすい例はラジオのディスクジョッキーでしょう。作家の落合恵子は深夜ラジオのディスクジョッキーをつとめることで「レモンちゃん」という愛称でアイドル的人気を誇ったと言いますが、そりゃまあ、落合恵子の容姿は醜悪ではないけど、美女まではいきません。でもその声だけで、当時の若者は彼女に淡い恋心を抱いたわけでしてね。
今のFMの女性パーソナリティも一緒ですね。時代が変わったせいか「可愛い」よりも「美女」を連想させるような声の持ち主が人気を得る傾向があるけど、実物を見て「あれ?」というような容姿の人もいる。誰とは言わないけど。
美人ではないけど美人声、可愛くもないけど可愛い声があるように、もちろんイケメン声なんてのもある。当世風に言うならイケメンヴォイスか。
「機動戦士ガンダム」でシャア・アズナブルの声を担当した池田秀一なんか、もうまさにって感じでして、こう言ってはファンを怒らせそうだけど、池田秀一本人はどう見てもイケメンではないからね。
昨今の声優ブームは、まず最初に声があって、声に見合った容姿が求められる時代になったってことでしょう。
アタシは声優ブームには何の興味もないけど、けして悪い現象とは思わない。それだけ市場が成熟したってことなんだろうしさ。
しかし昔はそこまではいってなかった。ま、昔ったっていろいろあるけど、アタシが中学生の頃はまさに第一次声優ブームでして、それそこ先に挙げた池田秀一なんかその中に入っていました。
しかし容姿まで整っていた人は少なかった。女性声優で言えば、堀江美都子と潘恵子、飯島真理くらいはまずまず容姿も良いけど、という感じでした。
この当時、アタシが「この人の声、可愛いなぁ」と思う人がひとりだけいた。しかし彼女は声優ではない。声優業のようなことも少しはやってたみたいだけど、広義に言えば歌手にカテゴライズされると思う。
その人の名は松谷祐子。「ラムのラブソング」を歌っていた、と言えば、ああ、と思われる人も多いでしょう。
当時から好きな声だったけど、後年「ラムのラブソング」を聴き返して正直ビックリした。これは極めて珍しい声質の持ち主だぞ、と。
大雑把に分けるなら「可愛い声」に分類されると思う。けど、可愛い声と聞いて連想するようなキャピキャピ声でもフニャフニャ声でもなくて、声質自体はどっちかっていうとダークなんですよ。
ダークな声質で可愛い歌を歌っていたといえばザ・ピーナッツですが、たしかに「ふりむかないで」とか歌自体は可愛いんだけど、印象としてはダークな方が勝っている。ま、ピーナッツの場合は見た目との合わせ技でギリギリ可愛いをキープしていたって感じです。
しかし松谷祐子は違う。何しろほとんど表に出てきてないので(辛辣に言えば歌手として売れなかったので)容姿面でのプラスアルファはない。画像検索で出てくる数少ない写真を見ても、特別容姿に恵まれた人ではなかったようですし。
だから下駄なし。純粋に声だけで、しかもダークな声質なのに可愛さをキープしているってのは相当すごい。
ここからは反対に、声に恵まれているとは言えない人について書いていきます。
2008年、WOWOWで「藤子・F・不二雄のパラレルスペース」なるドラマが放送されました。
全6回。主に青年誌上で発表されたSF短編のドラマ化なのですが、第1話として「値ぶみカメラ」が長澤まさみ主演で作られた。
これがまァ、何というか、ヒドイ出来でして、漫画のコマをそのまま実写映像に置き換えるムチャをしている。当たり前だけど、漫画と実写ドラマはまるでテンポが違い、というか見せ方自体がまったく違うものです。実験作なのはわかるけど、そう突飛な発想でもないし(ぶっちゃけ言えば誰でも思いつく)、こんなことする意味がどこにあったのか、もう疑問しか出てこない作品でした。
何よりヒドイのは、尺が放送時間にぜんぜん足りず(そりゃ「まんま」やったら30分も持つはずがない)、インタビューやなんやらで埋め草をしたことです。
クリエイターの人に悪感情があるわけじゃないけど、藤っ子のアタシからしたら「舐めんな」としか言いようがないわけで。
しかし、たったひとつ取り柄を挙げるなら、埋め草として長澤まさみの歌を流したことです。これがね、地声で歌っていて、かなり良かったんですよ。
長澤まさみは歌手ではない。と思う。アタシは別段ファンではないので彼女の活動のすべてを把握しているわけがないんだけど、やはり女優にカテゴライズされる人だと思う。
長澤まさみって人はとかく演技力で批判されることが多い。でも、まァ特別上手くはないけど、言われるほど下手でもないんじゃないの?と。
演技が下手に見える理由は簡単で、彼女の声に問題があるんです。あの、ちょっと舌ったらずな声で喋ると無意味に下手な感じが出てしまう。だから、ほんのりとですが、可哀想だな、とは思うんですね。
しかも好き嫌いが極端な声なのも問題でして、メチャクチャ可愛い声だと思う人がいる一方、虫唾が走るほど嫌う人もいる。だから万人向きではない。
そこがね、イマイチ、人気面で殻を破れない理由ではないかと。
だけれども、長澤まさみほどかどうかはさておき、好まれない声を持った人は意外といるんです。
と言うと極端に甲高い声とかを想像するかもしれないけど、そうとも言い切れない。むしろそういう特徴のはっきりした人は好きな人は好きだし、悪声の代名詞まで言われたエノケンこと榎本健一なんかガラガラ声なだけで、芸能人としてみるなら、むしろ特徴的でよく響き、愛着が持たれる「良い声」です。
好きって人が少なくて、苦手もしくは嫌いって人はそれなりにいる、みたいな声の人は正直辛い人生ですよ。
もちろん容姿だってそういうことはある。でも容姿の場合、それなりに改善が可能なんです。痩身術、じゃ古いか、ダイエットですね、をするとか、いざとなれば整形してもいいわけだし。女性ならそこまで大仰なことをしなくてもメイクの腕を磨くだけでそれなりに改善される場合もあります。
けどさ、じゃあ声はどうすりゃいいのさ。
声を良くする、しかも美声にするってことじゃなくて「好意を持たれやすい声にする」手術とか聞いたことないもんね。
考えられるのは、好意を持たれやすくなるかはともかく、単に声を変えるだけならばもう声を潰すしかないね。カラオケに行きまくるとか。そんなもんで喉が潰れるかどうか知らないけど。
あとは、いわゆる「酒灼け声」にするっての。これはまァ、酒灼け声だな、と思う人は行くところに行けば結構いるので、能動的にやることも可能なはずです。
でもアタシのようなアルコールに弱い人間はどうすりゃいいんだ。こういってはナンだけど、アタシの声は相当悪い。当然美声悪声って意味での悪い声ではなく、好意を持たれづらいってことでの悪い声ですから。
容姿にかんしては極端に損をしているとは思わないけど、声にかんしてはかなり損な目に遭ってきたような。被害妄想かもしれないけどさ。
理想はやっぱ植木等の声ですよ。あんな声になりたい。だからこそアタシはこれほどまでに植木等を敬愛しているのかもしれないわけでして。