ドラマなんかを見ていると、プロデューサー連の頭が硬直化してるんじゃないかと考えてしまって夜も眠れない。
先日久しぶりに若槻千夏がテレビにでているのを見ました。
もう最近はバラエティそのものを見なくなって久しく、たまたまテレビをつけたら若槻千夏がでていたのですが、そういえば一時休養とかしてたんじゃなかったっけと思い出した。
アタシは昔から若槻千夏という人を買っており、空気を読みながらも強引に押し通すところは押し通す、タレントとしての力量を持ってる人だなと見ていた。
もっとも認めているのはそういう部分だけで、いわゆるグラビアアイドルとしての若槻千夏には何の興味もない。興味がないどころか、むしろ好ましくない顔立ちです。
じゃあ目の前に若槻千夏がいても何の関心もないのかというとちょっと違う。何というか、この人、テレビ越しにも伝わってくるぐらい、独特の哀愁を感じるのですよ。特に休養宣言か何かして、先日テレビで見た時の方が以前より哀愁が増しているような気がしたし。
見ていた番組、ま、はっきりいえば「ぷっすま」だけど、の中でも占い師におおざっぱな考え方をする人と指摘されていましたが、アタシもおそらくそういう人なんじゃないかと睨んでいる。
しかし一方でやたらと繊細な部分も見え、かなり微妙なバランスの上に成り立ってる人のような気がするんですよ。
ものすごくフシギなんだけど、何故こういう味をバラエティの中だけで閉じこめておくのだろうかね。もしアタシがプロデューサーなら絶対にドラマに使ってみたくなる。
それは演技力の問題というかもしれないけど、正直演技力なんかほとんど関係ない。周りに達者な人を配して、下手が目立たない、というか下手だからこそ個性が際だつような役を割り振れば、今の日本にはあまりいないユニークな女優になるんじゃないか。
とにかくこれだけ哀愁を感じる、しかも変なストイックさもない、繊細で大胆な個性を持った人はそうはいないのだから、活かさない手はないと思う。
実際、タレントを活かす活かさないはプロデューサーの感覚次第です。何だか昨今のドラマは「キャスティングを見ただけで見たくなくなる」作品が多いように思う。もうある種の意外性のあるキャスティングができなくなってるんじゃないかと、ね。
もちろん若槻千夏本人がそういう方向性を望んでいるかという問題もあるけど、どれだけ成功するかは知らないまでも、まだ女優の方が可能性が広いような気がする。
この辺は今も変わらないね。 というか本田翼とかドラマに出るたびに叩かれてるけど、そもそもこういう人を「普通の女優」として使おうってのが間違いなんだよね。 芝居ってのは演技が出来る人と出来ない人の混合のが絶対いい。というか技術至上主義になると伝統芸能になるよ。 |
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