「笑って笑って幸せに」の謎
FirstUPDATE2007.6.8
@クレージーキャッツ @植木等ショー 単ページ 笑って笑って幸せに 山口あかり 発売時期 PostScript

 先日(現注・2007年)「植木等ショー」の映像を初めて、とあるクレージーキャッツマニアの方に見せていただきました。

 アタシが一番驚いたのは1968年8月放送分の中で「笑って笑って幸せに」が歌われていたことです。(現注・ちなみに「植木等スーダラBOX」に収録されている「植木等の大ハッスル」の回ではなく第2期第7回の「藤田まこと、佐良直美と共に」の回です)
「笑って笑って幸せに」は「レアディスク」に収録されて以来、「コンプリートシングルス」にも収録されるなど、今でこそ、過去に「レア音源」と呼ばれたものとしては入手は容易な曲ですが、7人全員にソロボーカルがあったり、曲そのものも非常によくできており、 だからこそ余計に「なぜお蔵入りになったのか」という謎は深まりました。

 アタシはずっと「クレージーのぶちゃむくれ大発見」のために作られた楽曲だと思いこんでいたのですが、放送された回が1968年の夏(8月15日)なので、大幅な矛盾がでてきます。
とすれば「笑って笑って幸せに」は「植木等ショー」のためにつくられた楽曲だったのか?
「植木等ショー」の中で歌われた楽曲としては

・植木等ショーのテーマ(作詞 藤田敏雄/植木等)
・星に願いを(作詞 藤田敏雄/植木等)
・ウンジャラゲ(作詞 藤田敏雄)
・チビ(作詞 中村メイコ)


が知られています。
 藤田敏雄はこの番組の構成作家で、植木等が全面的にアイデアを提供したといわれる「ウンジャラゲ」を含めて、基本は「構成作家+植木等」という体制で作詞が行われていたことになります。
 しかしアルバム「スーダラ伝説」に収録された
 「チビ」を作詞したのは、作詞家としての活動もしていた女優(現注・ご当人は<喜劇女優>を名乗っておられますが)の中村メイコですし、「笑って笑って幸せに」の作詞は、先日(現注・2007年5月)逝去された山口あかりです。
 山口あかりは「まんが日本昔ばなし」のエンディングテーマとして親しまれた「にんげんっていいな」などで有名ですが、青島幸男や塚田茂のように、構成作家兼業ということはなかったようです。

 すると「歌詞を作詞家に依頼する」というケースもあったのか、となるのですが、山口あかりは「クレージーのぶちゃむくれ大発見」では「俺は売り出し中」という曲も書いている。
ということは「俺は売り出し中」も「植木等ショー」で使われたものという可能性もでてきますが、なんにしろよくわかりません。

 ここからは思いっきり仮定の話になります。

 「クレージーのぶちゃむくれ大発見」の公開時期から考えて「笑って笑って幸せに」は1968年末に発売される予定だったと考えていたのですが、「植木等ショー」の中から生まれた曲であろうがなかろうが1968年の夏前(春以前という説あり・詳細不明)には完成していたと考えるのが妥当でしょう。
 カップリング曲は、もし「植木等ショー」のためにつくられた曲ならまったく不明ですが、それ以前からあった楽曲ならば「俺は売り出し中」がカップリングされる予定だったのではないかと。
それならば、山口あかりに作詞を依頼したことも納得できます。(なにしろ山口あかりはこの2曲しか書いていないのだから時期を置いて依頼した、とは考えづらい)

 1968年はレコード発売にかんして、若干迷走していたのはたしかなようで「なせばなる/そうだそうですその通り」も映画の冒頭でわざわざ「東芝レコード」とクレジットを入れながら結局は発売されませんでしたし「笑って笑って幸せに」のお蔵入りもあり、この年、クレージーキャッツの新譜は発売されていません。(例外はアポロンから発売された「歌謡百年」に収録された植木等のソロ)
 このことに関しては諸説ありますが、クレージー関連のレコードの売り上げが極端に落ち込み新譜を出すことが難しくなったから、ともいわれています。(現在このことも調査中です)

 まぁなんにせよ、まだ謎の解明ははじまったばかりです。事実関係が判明し次第、また報告させていただきます。

この辺はもっと本格的な調査が必要なんだけど、未発売レコードを調べるのは本当に骨が折れるのです。時間を見つけてちょっとずつやっていくしかないのですが。




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