「かっちょいい」の深みリィ
FirstUPDATE2006.2.5
@Classic #ことば @加藤茶 #インターネット 単ページ かっちょいい ナントカ崩れ 勝手に勝利宣言 煽り #レトロゲーム機 PostScript #1970年代 #1990年代 #2000年代 #2010年代 #人間関係 #嗜好品 #映画 yabuniramiJAPAN

 えと、2016年頃かららしいのですが「わかりみが深い」なんて変な言葉が出来たりしてね。
 ま、アタシが使うことはないだろ、と思ってたんだけど、あえてこの言葉が生まれる10年前に書いたエントリタイトルを「それっぽく」変えるってのは、何か良くね?と思いましてね。

 そんなことはどうでもいい。
 にしてもですよ。「かっちょいい」って、誰が最初に言い出したのだろう。ってそれもどうでもいい話だけど、どうでもいいことを考えるほど平和なことはないですからね。
 で、話を戻しますが、最初に「かっちょいい」って言い出したのは加トちゃんだったような気もするけど、違うような気もする。とにかく1970年代ぐらいから使われ出した言葉なんじゃないかね。
 ま、わかりみが深いもそうかもしれないけど、「かっちょいい」もだし、あと「だいじょうび」とか「○○してちょんまげ(○○してちょ)を含む」とかね、既存の言葉をちょろっとだけイジった言葉は使いやすい。使いやすいんだけど、旬を過ぎた後に使うとすごい恥ずかしい言葉になってる。たとえば日本エレキテル連合の「ダメよ~ダメダメ」とか、令和の今堂々と使ってる人を見たら逆に感動するレベルです。

 何で恥ずかしいかというと、そこには<ノリ>しかないから。世間に<ノリ>がある時は使いやすいんだけど、そんな<ノリ>が消えた状態でとなると、もしうっかり口をつきそうになったら必死で止めるレベルになるわけです。
 これがもうちょっとナンセンスなニュアンスがあるとか、深い意味合いがあればまだ使えないことはない。
 それこそ「ガチョーン!」なんかはね、ナンセンスなんですよ。だから赤面レベルで恥ずかしいことはないわけで。でもナンセンスになると使いやすいわけではないので、それはそれで流行させるのが難しいんだけど。

 そう考えると「かっちょいい」ってわりと規格外なんですよ。
 使いやすいのに、つまり流行語になるレベルだったのに、でも恥ずかしさは若干薄い。ってね、たぶんこれは深みリィ、じゃねーや、意外と深い言葉だったからなんじゃないかと。
 たとえばね、ノーヘルで信号なんかもほとんど守らないようなライダーの方がいらっしゃいますよね。ああいう人を見ると「お、かっちょいいなぁ!」とひとりごちてしまうのです。だってかっちょいいじゃないですか。うん、かっちょいい。
 けして「カッコいい」じゃない。かっちょいい。わかりますかね。

 「カッコいい」ってのは「格好いい」ってことなんだろうけど、まぁ常識的に考えて肯定的な場面で使われることが多い。なにしろ「格好」が「良い」ってことなんだから。
 ところが「かっちょいい」になると完全にニュアンスが変わってくるんですよ。そこが「だいじょうび」なんかとは違う。
 「だいじょうび」なんて、大丈夫のおどけた言い方なだけで、意味も使うシーンも変わらない。ま、せいぜい「ビジネスシーン」で「大丈夫です」ではなく「だいじょうびです」とは言ってはいけない、というくらいです。
 てかさ、話が逸れるけど、最近流行のマナー講師もこれくらい洒落っ気があればいいのに。
 そういや、あれは1990年代なかばくらいだったかな。もちろんまだマナー講師なんていない時代ですよ。その頃に仲間内で「新しいマナー」を作って馬鹿笑いしてたことがあります。たとえば
 
もうお酒がいらない、という時は手でコップを覆い隠しましょう

 とかね。とにかく全部こんな感じのくだらないのばっか作って。
 そういうユル~い洒落っ気の中に、たま~に「ぐでんぐでんになった酔っぱらいが、ふいに吐く真理」みたいな感じで鋭い豪速球みたいなのが入ってたら良かったっつーか叩かれることもなかったのにね。

 どうも話が逸れるな。ま、これはそういうエントリだからいいんだけど。とにかく「かっちょいい」に話を戻します。
 「かっちょいい」のすごいところってね、完全に相手を見下してるというか、この言葉を発した瞬間に、発した側と言われた側の人間関係を決定してしまうような感じになるのです。
 「かっちょいい」と言われた側は何の反論も出来ない。ただ怒るか、不愉快な顔になるぐらいしかできない。なにひとつ論理的に返すことができない。それぐらい強制的な言葉だと思うのです。

 そういや昔、植田まさしの、たぶん「おとぼけ課長」だったと思うんだけど、・・・えと、言葉では説明しづらいな、ホラ、オフィシャルな人と会って挨拶する時に握手とかするでしょ?ところがどうも見下されているような感じなことにおとぼけ課長が気付く。なんでだろうなって考えて気付いたのは、握手ってだいたい右手でするでしょ。んで反対の左手なんだけど、微妙に左に回り込んで、相手の肩を叩く。それだけでその人の立場が上っぽく感じるんだなってことにね。
 わかりにくいか。やっぱ言葉では難しい。

 とにかく
 仕草ひとつ、言葉ひとつで、なんとなく上下関係が決定づけられるものがあると思うのです。それも絶対に相手が反論も否定もできない形で。おそらく政治とかされてらっしゃる方は、こういうテクニックを山ほどもっているんだろうな。
 ・・・とまあ、2006年に書いた時はこの辺で終わってたんだけど(ま、ここまででもメチャクチャ増補してるけど)、せっかくなんで続けます。
 おそらく今「なんとなく上下関係が決定」してしまうワードが一番使われているのはインターネット上でしょう。
 ま、正直、見下しゃ何でもいいって類いの煽りはつまらないんだけど、たま~にですが「こりゃどうにも返しようがないな」なんて見事な書き込みも見られる。しかもまったく罵倒になってないし、見下してる感じも薄い。なのに返しようがないっていうね。ああいうセンスは羨ましいです。
 ただ中には酷いのもあって、これ、本人は上手いこと言ってるつもりなんだろうけど、まるで芯を食ってないな、なんてのもある。

 アタシはね、ファミコン考古学を研究されているオロチさんという人のブログにまさしく<ゾッコン>でして、内容が面白いのはもちろん、とにかく文章がメチャクチャ上手い。ああもう、素直に、読みやすいってのはあるんだけど、実は細部も全体の構成も凝っており、信じられないくらいスラスラ読み進められるのです。
 ただ、こんな上手い文章を書く人への罵倒として「小説家崩れ」ってのがあってあ然とした。は?どういうこと?と。いやオロチさんの経歴とかはどうでもいいんです。そうじゃなくて、ムードはあきらかに罵倒なんだけど、これって罵倒になるの?と。
 もうひとつ、某映画にたいする素晴らしい批評(ま、否定的ではあったけど)を書いた人への罵倒として「サブカル崩れ」ってのもあった。書いたのはこの映画の、正確にはこの映画の製作総指揮の人の信者(←って書けばだいたい何の映画かわかるなw)なんだろうけど、何かもう、小説家崩れにしろサブカル崩れにしろすげえなって。

 たとえばね、昔プロのミュージシャンを目指していたすんげえ上手いギター弾きのオヤジがいたとするじゃないですか。
 で、ですよ、こういう人に「ミュージシャン崩れ」とか言うか?って話なんですよ。
 たぶんね、小説家崩れとかサブカル崩れとかって言葉を使う人って「かっちょいい」と同じなんですよ。たぶんこれは絶対に反論出来ないだろ、しかも汚点をほじくってやったぜ、みたいな感じなんでしょうが、個人的には「かっちょいい」よりもはるかに薄っぺらいし洒落っ気もないから実は相手には響かないと思うんです。

 煽りってね、ただ馬鹿にしたり見下したらいいってもんじゃない。それは果てしなく低レベルな煽りです。
 それこそ、まったく事実と反する煽りをされてね、それで腹が立つかというと立ちようがないもん。たとえば「珍○スは全員○○人」とか、事実じゃないから「コイツ、馬鹿だなぁ」としか思わないし感情もかき乱されないですよ。
 アタシもこういうエントリだから書いてるけど、普段は本当に何も思わん。もし何か言えと言われても「下手くそ」としか思わない。

 やっぱね、煽りって洒落っ気がないとダメなんですよ。
 洒落っ気があるってことは煽ってる側に心の余裕があるってことだから、そういう余裕を見せられると人間やっぱりイラッとしやすい。骨髄反射とか同じ内容を連投とか、もう余裕がなさすぎて「何か可哀想な人」としか思えないんです。
 先の映画評でも「私は○○(製作総指揮)さんのファンじゃありませんが」と書きながら延々映画を称賛し、批評文を罵倒しているけど、初っ端からウソを書いてるから、ウソを露呈させないことにばかり気を取られて、ほとんど文章としての体を成していない。
 というかさ、初っ端からホラをブチかますなんて手練れのやることで、素人がやれることではないですよ。結果、素人がやるとこうなる、という見本市になってる。
 アタシもいろんな煽りを見てきたけど、どれも、インターネットなんか出来るはるか以前に誕生した「かっちょいい」にははるかに及んでいない。

 もうひとつ、正論とか論破とか、何であんなくだらないことが流行るのか、心底理解出来ない。
 それこそね、例えば「昨日観てきた映画が面白かった」みたいな話をして、その返答が「でもそれって結局は作り話でしょ?」だったら、もう何も喋ろうと思わなくなる。というか二度とコイツと会話するの止めようってレベルです。
 「作り話」ってのは正論かもしれない。そして相手の口を塞いたってことで言えば論破なのかもしれない。でも、雑談で正論や論破が何の意味があるのか。ただ人間関係を壊してるだけです。
 もしこっちがその気なら「雑談で正論を吐く無意味さ」を延々と論じて、そのくだらない考えを論破出来るけど、それもまた、無意味だからやらない。黙ってその場から立ち去るだけです。
 それで相手が「勝った」とか思うなら、もう勝手にどうぞ、です。そんなくだらないことで争う気持ちは一切ないもん。

 途中で「ぐでんぐでんになった酔っぱらいが、ふいに吐く真理」って書いたけど、アタシはこういう煽りを期待してんだよね。鋭さも洒落っ気も真実性もある、そういう煽り。
 でもないね。マジで。つかそんなセンスがある人間は煽りなんて空虚なことはしないってことか。

本サイトに残すものは、ほぼすべてポジティブな内容にしようと思っているのですが、これはちょっと例外かな。つか元エントリも皮肉っぽいけど、ここまで物申すっぽくはなってない。つまり<付け足し>た箇所が物申すになってるっつーか。
でもまァ、いっこぐらいはいいんじゃね?とあえて幼稚なネット民を攻撃するようにしました。ま、攻撃ってほどでもないと思うけどさ。




@Classic #ことば @加藤茶 #インターネット 単ページ かっちょいい ナントカ崩れ 勝手に勝利宣言 煽り #レトロゲーム機 PostScript #1970年代 #1990年代 #2000年代 #2010年代 #人間関係 #嗜好品 #映画 yabuniramiJAPAN







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.