失敗作「広島・昭和20年8月6日」
FirstUPDATE2005.8.31
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またしてもリアルタイムの話題でないのですが、先日TBSで放送された「広島・昭和20年8月6日」を見ました。それも「なんとなく見始めた」のではなく、その時間が来るのを待ちわびて、期待して見たわけです。

というのも、おととし(現注・2003年)やった(アタシが見たのは去年だけど)「さとうきび畑の唄」が非常におもしろかったからで、まぁこういうたぐいのドラマに「おもしろい」という表現を使うのははばかられる風潮はございますが、とにかく心の中に強烈な印象を残したことは事実です。
んで「さとうきび畑の唄」とほぼ同じスタッフでつくられた「広島・昭和20年8月6日」ですが。

見て感動したって人には申し訳ないのですが、かなり期待を裏切られた思いでした。点数でいえば60点ぐらいの出来に感じました。
「さとうきび畑の唄」と比べること自体がおかしいのかもしれませんが、TBSとしても「同じスタッフで・・・」うんぬんを宣伝していたので、まぁそれもしょうがないでしょう。というわけでアタシも比較評になってしまうのですが
「さとうきび畑の唄」が佳作とするなら、「広島・昭和20年8月6日」は失敗作ですね。とにかくマズい、というか物語に集中できないことがいろいろありました。
例をあげます。

・誰も芯になる役者がいない
・近隣の人がまったく書かれていない
・末っ子(年明)のことが、途中まったく話題にのぼらなくなる
・商売柄、食べ物が潤沢にあるので、切迫感がない
・西田敏行の独白
・エンドロールでの写真・映像、そしてとってつけたような「涙そうそう」

「誰も芯になる役者がいない」というのは、おそらく「さとうきび畑の唄」を意識しすぎた結果でしょう。
「さとうきび畑の唄」は父親が主人公で家族の物語を描いてました。だから今度は父親抜きのドラマを考えたのでしょう。しかしこれは正直うまくいったとは言い難いのです。

明石家さんまの演技が巧いかどうかはおいといて、多少脚本や演出に不備があっても、それを気付かせないぐらいの「芝居を引っ張る」力があるのですが、やはり松たか子ではそれは荷が重すぎる。特別下手ではないですが、史実を絡めたドラマの場合、やぱりなんかしらの不自然さが生じるのはいたしかたないことで、それを押し切るだけのパワーを松たか子に求めるのは酷すぎます。
西田敏行はああいう形で出演してる限り、ドラマを引っ張っていきようがなく、結局もうけ役だった泉谷しげる以外は、どの役者も限りなく中途半端な気がしました。

「近隣の人がまったく書かれていない」、これは「さとうきび畑の唄」の場合、町会長さんの存在がちゃんと書かれており、だからこそラスト間際のカメラに残された写真につながるわけですが、せっかく加藤あいの結婚式のシーンで、近隣の人がぞろぞろ出てくるのに、ひとりとしてどんな人物か描かれてないから、感極まりようがないのです。

「末っ子(年明)のことが、途中まったく話題にのぼらなくなる」のは見ている時、もっとも気になったことで、少年航空隊に強制志願させられて出征した弟の存在を三姉妹の誰も気にもとめないというのは、いくらなんでも不自然でしょう。ひとこまぐらい生死を案じるショットでもあれば、全然印象が変わったのに。

「商売柄、食べ物が潤沢にあるので、切迫感がない」ってのもね。
まぁドラマの中での時間が「さとうきび畑の唄」に比べると決定的に短いので、しょうがないといえばしょうがないのですが、やはりドラマとして考えた場合、盛り上がりに欠けたのは事実です。
切迫感がないといえば、追っかけのシーンもそうで、甲本雅裕は好演してるんだけど、なんでああ緊迫感がないんだ?

「西田敏行の独白」
「エンドロールでの写真・映像、そしてとってつけたような「涙そうそう」」
この2つはつながっています。(むろん「シーンが」という意味ではありません)
そもそも、トップシーンに白け気味の修学旅行生を前にして、西田敏行が訥々と語りはじめるのですが、まずこれが問題で、ストーリー上、ラストでふたたび現代に戻ってきた時に、修学旅行生の態度が変わってないとおかしい。いや、ちゃんと変わってるのですが、これがアタシには「感動の強要」に感じたんです。ホラ、こんなに悲しい話ですよ、というね。
そこにもってきて、西田敏行の独白でしょ。あんなに語らせたらダメですよ。せっかく「おはなし」にして見せたんだから、「戦争について、原爆についてどう思うか」の判断は視聴者に委ねなきゃ。

しかもマズいことに、この独白に続くエンドロールが実に生々しい写真と映像を使って構成されているんですよね。これも非常にマズいことで、ある意味独白をまったく無意味にしているとすら思います。
これは独白をカットすれば、簡単に解決することなんだけどね。
またこの生々しい映像と、「涙そうそう」が合わないのなんの。いくら「涙そうそうプロジェクト」といっても、他に方法はなかったのか?と思わざるをえません。

とまぁ文句ばかり書きましたが、見るべきところもちゃんとありました。それは例の美術でして、産業奨励館とその周辺のセットは素晴らしいのひとことに尽きます。中国でロケされたという、広島市街地のショットも素晴らしく、極端にいえば、美術を見るだけでもドラマを見る価値があったとすら思いました。
しかし、だからこそ、原爆投下後の雨のシーンがコントみたいに見えてしまったのですが。本当にここだけは残念ですね。

とにかくね、これ、涙そうそうプロジェクト第一弾らしいので、次回作に期待します。もうちょっといろんなところを見直していけば、もっともっといいものができる可能性があると思うので。と期待しつつ、ではでは

これ、再放送時にエンドロールが変更されてて、放射能被害の写真じゃなくて名場面集になってました。
ま、まだその方が賢明だな。それで全部が解決するわけじゃないけど。




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