♪ 燃ォえるゥ闘魂~ こォのひと振ィりィに~
うゥなれェいまァおか~ まァことの救世主~
たぶんね、歴代の阪神タイガースの選手で好きだったのは誰?となっても、アタシは彼を選ばないと思うんですよ。おそらくトップ10に入るか入らないか、ギリギリくらい。
もう1位は、誰がなんといおうと田淵幸一に決まってる。何しろアタシを阪神贔屓にした張本人なんだから。
2位以下は順不同ですが、個人的な思い出がある川藤幸三やマイク・ラインバックは絶対に入るし、どうしたって掛布雅之の名前も外すわけにはいかない。
他にも抜群に勝負強かった佐野仙好も必然的に入る。
と、ここまではアタシがプロ野球なるものに興味をおぼえた1976年当時現役だった選手で埋められる。やっぱさ、ファーストインパクトって強烈だもん。
いわゆる暗黒時代の選手で唯一入れたいと思うのが新庄剛志です。甲子園に試合を観に行った時にすごいファインプレーをしてね。ファインプレーで泣いたなんてあれが最初で最後です。
ここからは比較的最近の選手になる。
ジェフ・ウィリアムスとランディ・メッセンジャーは当然レベルで、藤川球児だって入れないわけにはいきません。
もちろん、金本知憲を外していいわけがない。
って、あれ?もう10人に到達しちゃったじゃん。ということは、あの選手は入らないってことになってしまうのか。
その男の名は、まァ冒頭にヒッティングマーチを書いちゃったんでわかる人にはバレバレだけど、そう、今岡誠です。
今岡は1996年のドラフト会議で阪神タイガースから1位指名されて入団しました。
ただしゴールデンルーキーというほどではなかった。というか過去、阪神に野手のゴールデンルーキーが入ってきたケースはほとんどない。籤を外すか、指名すらしないかのどちらかでした。
ドラフト導入後にゴールデンルーキーと言われた野手といえば
・田淵幸一
・岡田彰布
・鳥谷敬
この3人しかいない。そしてゴールデンルーキーと呼ばれた3人は全員大成し、しかしその歩みは全員違うのが面白い。(追記・2021年度のドラフト1位の佐藤輝明もゴールデンルーキーの枠内に入りますね)
鳥谷は飛び抜けた選手ではなかったけど安定した成績を残し、田淵は爆発したかと思えば使い物にならないを繰り返した挙句(ま、怪我の影響だけどね)、西武ライオンズにトレードされました。
岡田は下手したら田淵や鳥谷以上のゴールデンルーキーだった。しかも唯一の関西出身選手。背番号16にした理由も子供の時に「よくキャッチボールをしてもらった」という理由から三宅秀史の番号を選ぶほど、熱狂的な阪神ファンだったんですからね。
正直、この3人に比べると、世間的な評価も球団の扱いも、今岡は劣っていました。
それでも、近い将来レギュラーが約束された、くらいの期待度はあった。いわば「スター」ではなく「レギュラー」として期待されていたというか。
しかし、当時の感覚はというと、正直今岡がどんな選手に育つのか皆目見当がつかなかったんです。
たしかにバットコントロールはセンスを感じさせるものだったし、スナップスローも一目置くに値しました。
しかし他がわからないというか、まったくホームランを打てないわけじゃなさそうだけど、30本近く打てるようには思えなかったし、守備もショートにしてはもっさりしすぎている。入団から2、3年目までの今岡のUZRはわかりませんが、相当悪いものだったことは想像出来ます。
バットコントロールが天才的、と言われても数字が挙げられないバットコントロールに何の意味もない。それこそ一時期阪神でレギュラーだった今成なんかも天性のバットコントロールがあったけど、それが打率に反映されなかったからね。
また今岡の場合、アベレージタイプで生きていくしかなさそうなのに、致命的に足が遅いってのも将来像を描く壁になっていたわけで。
何か、ひとつ、きっかけがあれば、タイトルを獲れるほどじゃないけど、レギュラーとして起用出来る。それはわかっていたけど、ではどこのポジションで、何番打者が適任か、と言われるともうわからない。1、2番としては脚力が足りない、クリーンナップを打つほどの数字は残せそうにない、下位でのんびり打たせるほど守備も良くない、と。
正直言って、野村克也が監督に就任した1999年以降、アタシは今岡に期待しなくなっていました。
野村が「ゼブラ」と名付けたように、とにかく闘志が表に出ない。何を考えてるのかよくわからないタイプで(白か黒かはっきりしない=ゼブラ)、成績的なことだけではなく、これでは到底チームリーダーとして引っ張っていくタイプじゃないなと。
冒頭に今岡のヒッティングマーチを引用しましたが、これは入団当初からのものです。(いろいろあった末、2005年にほぼ全選手のヒッティングマーチが入れ替わるまで。<いろいろ>の経緯はややこしいので割愛)
けど、これほど不似合いなヒッティングマーチもない。そりゃ使いまわしの関係で過去に足の速さが売りの選手にホームランを期待した歌詞はあったけど、今岡の場合は新規で作られた完全オリジナル。なのに「燃える闘魂」だの「唸れ」だの、およそ今岡らしくないワードが並んでるんだからね。
むしろアタシは2000年の終盤から台頭してきた上坂太一郎に期待していた。足が速く、ガッツが表に出る。ポテンシャルは今岡より低いかもしれないけど、実戦で活躍出来るのは上坂のようなタイプではないかと。
今岡は早々にショート失格のらく印を捺され、この頃のメインポジションはセカンドでしたが、上坂もセカンド。だから、どっちか使うのであれば上坂じゃないかと思っていたんです。
ところが2002年になって、ということは星野仙一が監督に就任してってことになりますが、星野は足の遅さには目を瞑って2番打者として今岡を使い始めた。それもあまりバントをしない2番として。
当時、阪神で一番を打っていたのは前年に入団し、いきなり盗塁王を獲得した赤星憲広でした。だからバントをしないってのはわかるんだけど、打力の弱かった今岡を2番に置くこと自体意味がわからず、赤星が走れないまま今岡が打ってゲッツー、なんて場面が増えるだけじゃないかと。
ところがアタシはとんでもない見立て違いをしていたことに気づきます。
赤星がスタートを切るシーンは当然多い。そこで今岡の抜群のバットコントロールが活きてきた。
「打率が稼げないバットコントロールに何の意味もない」と先ほど書きましたが、赤星のような塁に出れば常に盗塁を狙っているような選手が前を打つ場合は別で、悪いスタートの時には少々のボール球でも曲芸的にバットに当てることが出来るからです。
この経験から今岡は打撃のコツを掴んだような気がする。そのうち赤星の怪我もあって1番に定着、翌2003年は「1番今岡、2番赤星」というオーダーで、ついに首位打者まで獲得してしまいます。
当時、解説者だった南海ホークスの往年の4番打者、門田博光いわく「彼(今岡)はひとりだけ、バットではなくラケットで打っているようだ」と形容したように、少々の難しい球でも芯に当ててポンッと弾き返す。「実は今のプロ野球界でメジャーで通用するのは今岡ではないか」とまで言われた天才的な打撃を会得したんです。
さらにはそのうちホームランを打つコツまで掴み、2004年、2005年続けて30本近いホームランを打つまでになった。
こうして、何番を打たしていいのかわからなかった選手はかくして「何番を打たせてもその打順に相応しい活躍が出来る」選手にまで成長していったという。
そしてもうひとつ、キャラクターの話です。
かつて野村から「ゼブラ」とニックネームをつけられたほど「何を考えてるのかわからない」タイプでしたが、これが、あの、今岡?と疑いたくなるほど、星野監督時代から気持ちを前面に出し始めたんです。
2003年でとくに印象的なのは福岡ダイエーホークスとの日本シリーズにて、シーズンではほとんどやらなかったセーフィーバントをした挙げ句、ヘッドスライディングまでしてみせた時です。
とにかく今岡だけは「何としても勝つ!」という闘志がみなぎっていた。
これは日本シリーズ直前に星野監督勇退が発表されたことと無関係ではないと思う。
野村に冷遇された今岡は星野が抜擢したことで甦った。アタシは「野村時代の今岡に何の期待もしてなかった」と書きましたが、これは今岡本人が誰よりも感じていたことのはずで、もしかしたらこのまま、レギュラーにもなれずに野球人生が終わるかもしれない、とさえ思っていたはずなんです。
「結局、選手にとって良い監督とは、自分を使ってくれるかどうかだけなんだ」とよく言いますが、今岡にとっての<良い監督>が星野だった。
だから、とは言いませんが、今岡は「絶対に星野さんをもう一度胴上げするんだ」という気持ちを見せていたのではないかと。
しかし、それであれば、星野が勇退した後、つまり2004年以降は元の無感情な<ゼブラ>に戻ってもおかしくはない。ところが以降も、今岡は生まれ変わったかのように闘志を前面に出し始めたのです。
若干話が逸れるようですが、大雑把に言えば今岡は男前なのです。けどそんなことを感じさせないほどのヌボーッとした雰囲気があり、しかも当時よく「胴長」と揶揄されたように、けしてスタイルも良いとは言えない。だから、まァ、雰囲気を含めたら三枚目なんですよ。
そんな今岡が時に見ているアタシが涙してしまうほどの熱いプレーをやる。
とくに強烈だったのが2005年6月2日のソフトバンク戦でした。
阪神敗色濃厚の9回、ホークスはクローザーの三瀬幸司を送り出しますが、甲子園の雰囲気に飲まれたのか金本知憲の頭部に死球を与えてしまいます。
その場で金本が倒れ込み、三瀬は顔面蒼白になった。しかし金本を代えるわけにはいかない。連続フルイニング出場の記録を翌年に控えていたためです。金本はよろけながらも一塁まで歩いていきました。
問題はこの後です。
次の打者は5番の今岡だったんだけど、その表情がすごかった。「打つ!何が何でも打つ!!」というのがあまりにも出過ぎていて、普通ならそこまでになると逆に気合が空回りして打てないものだけど、今岡は本当に打った。
この時だけに限らない。ここ一番、になると、打つ!という顔になり、本当、ことごとく打ちまくったのです。
そしてその結果が現代野球では驚異的な147打点になった。チャンスに強いどころじゃない。チャンスだったら「ほぼ確実に打つ」バッターなんてこの年の今岡くらいでしょう。
皮肉にも、この年から例のヒッティングマーチが変更になったのですが、まさに「燃える闘魂」を体現したような選手に今岡はなり仰せたのです。
見た目は三枚目で、そのくせ泣かせてくれる、という、まるで人情喜劇の主人公の如くなった今岡を、いつしかアタシは<車寅次郎>と重ね合わせるようになっていきました。
正直今読んでもかなり空々しいのですが、この頃アタシが今岡をどのように捉えていたかがよくわかるサンプルを載せておきます。
あ、一応言っておきますが、実在の人物とは<ほぼ>関係ありません。
ちゃ~!ちゃらららららら~ ちゃらら~ちゃららーらら~
♪ お~れ~が打ったんじゃお前が目立たぬ わかあっている~んだハマ~ナカよ
い~つ~かお前を今日のヒーローに するためちゃんと繋ぐから~
イマ「わたくし、生まれも育ちも兵庫県南部、人呼んでドーナガの(‘ ε ')(←イマオカのアスキーアート)と発します。おい、オサム、元気だったかい?留守に変わったことはなかったか?」
ハマ「なんですかそれは。まだ守られへんボクへの嫌味ですか」
イマ「おいおい、おいちゃん、そんな怖い顔でみるなよ」
ハマ「シマノコーチですよ、何いってるんですか」
イマ「お、タコ社長も来てたのかい。なんだい難しい顔しちゃって!」
ハマ「監督!監督!ホンマ怖いわこの人」
実況「得点は1~0、キョジン一点のリードです。9回裏ツーアウトランナーなし。さぁ鉢、最後のバッターとなるか」
ハマ「イマオカさん!早くネクストバッターズサークルにいかんと!」
イマ「わかってるよ。ミナまでゆうんじゃないよ。ところであのピッチャー、なんて野郎だい?」
ハマ「いいかげんにしてくださいよ。イマオカさんの高校の先輩じゃないですか」
イマ「おお、そうだったそうだった。しっかしいい年して結構なタマ投げやがんね。結構毛だらけ猫灰だらけ、クワタの顔には虫だらけ!」
ハマ「ホンット、終いに殺されますよ!」
イマ「おいオサム、タコ社・・・もといひょっとこ社長がお呼びだぞ」
ハマ「お願いですからボクを巻き添えにせんでください!・・・・ハイ、ハイ、ハイ!」
イマ「ひょっとこ社長、なんだって?」
ハマ「カネモトさんとイマオカさんがでたら代打いくぞ、と」
イマ「そうかぁ!そいつはよかった!よし、まかせておきな。絶対アニキは出塁してくれるからよ、そしたら俺もでてかならずお前に回す。そこでだなオサム、お前が一発決めてみるって寸法はどうだ」
ハマ「イマオカさん・・・」
イマ「バカヤロ、泣くやつがあるか。俺とお前はたったふたりのドラフト同期生じゃねぇか」
ハマ「え?いやケンタロ・・・」
イマ「よーし、もし打ったら何でも好きなもん食わせてやるぞ。カニとケーキとうまかっちゃん、どれでも好きなの選びやがれチキショー!」
ハマ「それ全部イマオカさんの好物じゃないですか。まぁそん中やったらカニ・・・」
イマ「よしわかった、俺がトビキリのうまかっちゃんつくってやるからな!さぁデッドボールでも死球でもなんでもこいってんだ!!」
ハマ「・・・・。まぁええか。こんな人やし。・・・あ!!!」
実況「あ~!!鉢デッドボール!!」
イマ「おいおい、やけに気の早ぇヤツだな」
ハマ「鉢さん!大丈夫ですか!!」
鉢「大丈夫や・・・。イマオカ、あとは頼むけんのぉ・・」
イマ「カナモトさん・・・!この仇はかならず(‘ ε ')が討ってみせます!ここで打たなきゃ男が廃るってもんだ。さぁきやがれ虫面野郎!」
ハマ「ア、アカン!イマオカさん<絶対打つ時の顔>になってる!!」
実況「さぁクワタ、第一球のモーション、投げました!打ったぁ!!打球はレフトへグングン伸びる~!あ~!しかしフェンスには少し届かないかぁ~!!」
イマ「ヘン!こっちには奥の手があるってもんだ!」
実況「イ、イマオカ、両手をかざした~!あ、あ、あ~!!なんだかわからんけど打球が加速してレフトスタンドに突き刺さったぁ!イマオカ、サヨナラホームラン!!!よろこび勇んでベースを一周して、今ホームイン!!」
ハマ「・・・・イマオカさん、ボクに回してくれるんじゃなかったんですか?」
イマ「・・・・・・・・・・・・・・そこが渡世人のつれえとこよ!」
ハマ「ちなみに明日こそは・・・」
イマ「明日もイマオカコールが聞けるようがんばります!」
ハマ「イマオカさんっ~!!!!」
♪ フントードリョクの甲斐~もなく、きょおおおもなみぃだのぉ~
きょおおおもなみだの陽が落ちる 陽ぃがぁぁぁおぉちぃるぅ~
ちゃーちゃーちゃーん。完
残念ながら今岡が「人情喜劇のスター」として輝いたのはこの2005年までで、翌年以降、ばね指の影響で成績が低迷、最後は千葉ロッテマリーンズにトレードされて選手生命を終えました。
しかしですね、アタシもたいがい長い間プロ野球を見てますが、ここまで神がかった選手は観たことがない。広島の元監督だった緒方孝市が鈴木誠也を指して「神ってる」なんて発言がありましたが、んなもん、鈴木誠也には何の恨みをないけど、悪いけど比べものにならない。あれほどまで「神が宿ってる」んじゃないかと思えたのは、おそらく今岡誠、ただひとりだと思う。
たしかにたった一年だけだったかもしれない。でも逆に言えば神状態が一年も続いたってだけで、如何に今岡が天才バッター、いや変態バッターだったかの証明ではないでしょうかね。
2003年から2005年にかけて今岡誠のことはいっぱい書いたので、いつか、書き下ろすというよりは当時書いたものをまとめてみたいな、とは思っていたんです。 最後の「男はつらいよ」のパロディも当時書いたものですが、さすがに今読むと当時のネットノリがキツすぎてしんどいんだけど、ま、そんな時代に今岡誠は活躍した証ってことで。 |
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