えー、全然詳しくないし、たいして書くこともないんだけど、と予防線を張っておいて。
イージーリスニングというジャンルがあります。ジャンル?なんですかね。ニューミュージックとかポップスてのもよくわからんけど、イージーリスニングというのもそれぐらい実態がわからないですね。おそらく和訳すれば<軽音楽>ってことになるんだろうけど、それだと意味が変わっちゃうし。
イージーリスニングといわれるものは主にインスト物を指すと思うんですけど、イージーリスニングを聴きやすいとか聴き疲れがしないという風にとれば、太田裕美なんてイージーリスニングの代表のような気がするんです。
昔アイドルの歴史を調べたことがあったんだけど、文章にまとめるにあたって太田裕美を入れるかどうか非常に悩んだんです。いや、太田裕美はたしかにアイドル扱いされてたんですよ。実際アタシが物心がついてからはじめて「かわいい!」と思ったのが太田裕美なんですから、そういう扱いをされていたのは間違いないのです。(ところが今みると、太田裕美の器量にはまったく興味がないんですよねぇ)
かといってニューミュージックの枠に入れるのも抵抗がある。さっきもいったようにニューミュージックというのもあいまいなジャンルなんですが、それでもニューミュージック扱いされていた当時の歌手と同列に語るのは無理があります。
あのちょっと舌っ足らずな歌唱もそうですし、なによりアレンジがニューミュージックというには歌謡曲寄りすぎる。ところが歌謡曲の中ではかなりニューミュージック寄りなんですよね。
これは主要スタッフのせいでもあると思うのです。
太田裕美といえば松本隆です。今がどうなのかは知りませんが、アタシの愛聴した太田裕美は松本隆なくしてありえない存在なんです。
松本隆といえばはっぴいえんどであり、ニューミュージックとは切っても切れない人なんですけど、松本隆といえば松田聖子でもあるわけで、そこらへんが事をややこしくしている。別にややこしかないか。
たとえば、大瀧詠一が作曲した「さらばシベリア鉄道」という曲があります。これは大瀧詠一本人も歌っているんですけど、この2つを聴き比べると太田裕美の方が圧倒的に歌謡曲的なアレンジが施されている。ところが単独で太田裕美バージョンだけを聴くと、あんまり歌謡曲を聴いている気がしないのです。
それに・・・太田裕美の声はどこか弱々しく、あざとさがない。
「木綿のハンカチーフ」や「赤いハイヒール」をはじめ彼女の楽曲にはあからさまなストーリーを持たせたものが多いんだけど、これらの曲を聴いていると、どうも音楽を聴いているというより、まるで朗読でも聴いている気になるんです。
そして朗読といっても全然「さぁ!聴いてください!」てのがなくて、むしろ「聴き流してくれて大丈夫」といわれている感じがする。
こんなんだから全然聴き疲れがしない。アタシが「イージーリスニングといえば太田裕美」というのはこういう理由なんです。
歌謡曲でもニューミュージックでもない。歌でも朗読でもない。そして自己主張がないからこそ何度でも聴きたくなる。このあいまいさが唯一無二の存在にしたんんではないかと。
太田裕美はアタシの中でアレサ・フランクリンや笠置シズ子と並んでベスト女性ヴォーカリストです。 ま、わかんない人にはわかんないだろうけどさ。 |
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