ちょっと気になることがあったんで、「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」(1970、松竹)を取り上げたいと思います。
気になったというのは、ZAKZAKの記事のいかりや長介の遺産に関する記事で<喜劇俳優>という肩書きが使われていたことで、いや、ZAKZAKの記事にいちいち噛みついてもしょうがないんですけど、「そういや、いかりや長介の仕事で<喜劇俳優>と呼べるような作品があったかな」と。
たとえば「踊る大捜査線」もコメディアン出身らしい軽身のある演技だったことは間違いないのですが、喜劇俳優というのとはまたちょっと違う。
伊東四朗なんかそうですよね。あの人に肩書きをつけるなら絶対喜劇俳優ってことになるんだろうけど、ドラマや映画で喜劇俳優としての仕事は少ないですし。まぁ舞台でそこそこやってますけど。
ところがいかりや長介の場合、舞台の出演も相当少ない。テレビドラマも彼の魅力のひとつでしかない<味>をいかしたものばっかりだし。そうなると映画になるんだけど、荒井注在籍時代に数多く撮られたドリフターズ主演映画も、喜劇俳優としてのいかりや長介が出てたのか、といわれると、ちょっと首を傾げたくなります。
いかりや長介のナリから発せられるおかしさと、独特の哀しみをいかした作品としては「ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!」(1974、松竹・渡辺プロ)というのがあります。
息子の裏切り、親友の死をきっかけに深い哀しみに彩られるいかりや長介の演技は、のちの「取調室」などの晩年の仕事につながる素晴らしさなんですが、それより彼の持つ哀しみを本格的に身につけたとおぼしい「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」のことを掘り下げていこうかなと。
「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」は開巻からドリフ映画らしからぬ静かさで始まります。前作の「ズンドコズンドコ全員集合!!」(1970、松竹)がギャグの連打ではじまったのと対照的です。
岩下志麻にホレたいかりや長介が、偽のラブレターの交換をはじめるあたりからギャグが出始め、ついにはいかりやが岩下志麻と結婚できるものと思い始めて婚約発表会を開くのですが、ここでのいかりや長介が抜群なんです。
当然他のメンバーにかつがれてただけで、そのことにいかりやが気付くのですが、なんともいえない表情で両膝をばたっとつくんですね。その演技はのちの演技派といわれてたいかりやとは違い、いかにも<喜劇俳優>らしい、悪くいえば大袈裟というか、漫才芝居なんですけど、逆にいかりやのナリと相まって笑いを誘ってくれるんです。
しかも後で加藤茶たちの夢想の中で改造人間(ゴリラ?)にされたり、仲本手作りのクルマで派手なカーチェイスをやったり(当然ラストはクルマが大破)、いかにもドタバタ系のコメディアンらしい動きをやってくれるので、観終わった後で、さきほどの<喜劇俳優>っぽい哀愁のある演技が余計に際だつんです。
後に渡辺祐介監督は「ドリフのメンバーは演技をうまくなろうなんてちっともしない。うまくなろうとしているのはいかりやだけ」と語ってます。
あんまり評価されることのない渡辺監督ですが、しっかりいかりやに<喜劇俳優>っぽい演技を身につけさせたことは多いに評価されてしかるべきなんじゃないでしょうか。
さて、ここまであいまいに喜劇俳優という言葉を使ってきましたが、アタシが思う喜劇俳優的演技とは、キャラとしての哀しみを表現しつつ、場面を暗くしないで笑いに転化できる演技だと思っています。
笑いに転化しないのは、ま、ふつうの俳優の演技であり、晩年のいかりや長介の演技はすべてこれですよね。だから喜劇俳優としての仕事とは呼べない、アタシは。
その点「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」はクオリティ的には<まあまあ>程度ながら、喜劇俳優としての仕事なのは間違いないと思うのです。
ドリフターズは基本的には時代の流れという<運>は良かった方だと思ってるんだけど、こといかりや長介個人にかんしてはちょっと時代の<運>が悪かったんじゃないかと。 いかりや長介を単独で活かすなら、それはドリフターズ本体とは別の喜劇であり、しかし1970年代後半から完全に映画界が斜陽に入ってしまい、喜劇映画が作られなくなってしまったのです。 「踊る大捜査線」も悪くはないんだけど、あれは晩年の仕事って感じで、まだ<キレ>があった1970年代後半~1980年代前半に「いかりや長介単独出演(主演でなくてもいい)の喜劇映画」があれば、もっといかりや長介の評価も変わったような。 |
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