アタシは天使ぢゃないよ
FirstUPDATE2005.3.18
@Scribble #Scribble2005 #メンタル #ネガティブ #震災 単ページ

先日、うちで飼ってた犬が死にました。ここでも何度か書きましたが、アタシはどうしてもこの犬に感情移入ができず、今回<死>という事態にぶち当たっても、ほとんど何の感情もおきませんでした。母親の心底沈痛な表情をみるのは辛いものがありましたが。

と、あらためて断っておきますが、アタシは犬が好きです。ここ数年こそ猫の方に興味が移りましたが、それでも街で犬をみると「お、かわいいな」と思うこともしばしばです。
にもかかわらず、うちの犬をかわいがることができなかった。散歩も何度なとく連れて行ったし、息をひきとった日もずっと横にいました。それでも、一度たりとも「かわいい」とか「愛おしい」というような感情が沸かなかったんです。

最大の理由は、母親のこの犬にたいする溺愛ぶりにあります。正直ここまで溺愛されると引くというか、他人に入り込む隙はなく、どうしても「よその犬」という感覚が抜けなかったんですね。
もちろん「よその犬」でもかわいいと感じることは可能なんですけど、アタシがあまり好きでない小型犬な上、溺愛からくる「分別のなさ」が気になって。
いや、犬を飼ったことがある人ならわかるでしょうが、犬でも「分別のつく犬」と「つかない犬」がいるのですよ。といっても馬鹿だとか賢いとかが理由ではなく、そしてほとんどの場合、溺愛されるがあまり「教育の不徹底」からくるんです。

もちろんね、何度もいいましたよ、母親に。第一散歩をさせてても非常に危ないし。
でも母親は「この子は不幸な目にあってきたから」とまるで聞く耳を持ってくれませんでした。

この犬がきたのは阪神大震災の年だったと思います。その前に飼ってた犬は震災の心労からかその年に死に、代わりに、ともらわれてきたのが先日死んだ犬で、ペットショップで買ってきたのではなく、震災で大量にでた迷子犬の一匹だったんです。
母親のいう「不幸な目」というのはこのことで、だからといってアタシからすれば、「不幸な目」にあったのと、「分別のつく教育」をすることとはまったく別だとずっと思ってました。思ってたけど、どうすることもできなかったんです。

この話をダシにして何をいいたいのかといえば、やっぱりアタシはかなり冷徹な人間なのかもしれません。間違っても慈悲的な天使のような人間でないのは間違いありません。
本当にかわいがってた犬とか、いや犬だけじゃなく、好意的な人間の死に直面した時、アタシは泣くでしょう。どのタイミングで泣くのかはわからないけど、絶対に泣く。
でも、よく知ってるけど何の感情もない人間の死を知った時、アタシはなんて思うんだろう。今回の犬の死とつきあわせて考えると、どうしても泣けないような気がする。いや、泣けないどころか何の感情も沸かないんじゃないだろうか

「そんなもんだよ」という人もいるかもしれないけど、なんだか悲しい。もちろんそんな自分が。

2022年に愛猫の<ぽんぽこ>が旅立ったのですが、これはもう、ショックもショックで、マジで立ち直れないレベルだったのですが、泣いたか泣いてないかで言えば、泣いてないんですよ。
本当に自分にとって大切な、人間だったり動物だったりを失った時って、実はショックとか辛さが先にきて泣けないのかもしれない。
だから余計に、フィクションでの<死>のシーンで、ウワァ!!みたいな感じで泣く演出って安っぽいな、と思う。いや泣けるだけの余裕があるじゃん。
本当に大切な存在なら<その瞬間>はむしろホッとするよな。もう苦しまなくて済むな、よく頑張ったな、お疲れさんって声をかけたくなるもんじゃないの?




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