吉本芸達者三人衆
FirstUPDATE2005.2.23
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まだやるべきことは何も片付いていないのですが、さすがに2日も空白を空けるのもどうかと思うのでして。

表題は<吉本芸達者三人衆>ってことですが、具体的にいえば
・山口智允
・中川家・礼二
・友近
のことでありまして。もちろんアタシが勝手に命名したわけですけど。

アタシの友人にいわせると、たとえばぐっさんなんかのことを「すごいおもしろいと思うけど、驚きがない」ということらしいです。つまり「なんでも無難にできるけど、意表をつかれるようなことがない」ってことなんですね。まぁこの答えの真意はよくわかる。
この「すごいおもしろいと思うけど、驚きがない」というのはさきの三人に共通していえることで、それはたしかにそうなんだけど、それよりこういったタイプの芸人が吉本から出てきたことにアタシなんかは驚きを感じるのです。

というのもですね、吉本というのはオーソドックスなタイプな芸人が育ちにくい環境があるようで、どうしても一発勝負型の芸人が前に出てきてしまうところがある。それはいわゆる芸人予備軍の人の数があまりにも多すぎるからで、そんな中で一歩抜きんでようと思うと、あきらかに他の芸人と違う個性を売りにせざるをえないからなんでしょうね。
藤井隆なんかも基本的なテクニックのしっかりした人なんだけど、メディアにのるにあたってエセおかまキャラで売り出していったし。

いやね、ぐっさんとか礼二、友近なんかをみてると、すごく東京の芸人さんをみてるような気がするんです。もっと正確にいうと、小劇団出身の人のようにみえる。吉本の芸人独特のアクがあまりにもなく、しかも非常に器用。とにかく吉本出身で「なんでも出来る芸人」がいなかったから、特別異様にみえたんです。

もちろんずいぶんさかのぼったら、いることはいました。いまや完全に役者になってしまいましたが、藤田まことなんかは花月の舞台で芸を磨いた人のひとりです。しかしなにしろ古い話です。
その後吉本の芸人のイメージはというと、一芸に秀でてはいるものの、<芸>という部分に関してはひとつしかない。歌をうたったりした人もけっこういたけど、あくまで余芸の域で、いくらうまくてもプロ的なものではない、もっというと商品として成立するものは提供できていませんでした。

でもこの三人は違うでしょ?友近の歌なんかあんまり売れてなさそうだし、じっくり聴くとそれほど巧くないんだけど、なんとなく余芸の感じがしない。本芸の一種にみえてしまう。
そうなんですよ。三人とも何が本芸なのかよくわからないのです。漫才なのかコントなのか歌なのか(礼二がうたってるとこはあんまりみたことないけど)。そのあり方が非常に東京的というか、吉本出身、いや芸人出身という感じがしないのです。

もっと日本映画が活発で、斎藤寅次郎や渡辺邦男が撮っていたようなベタベタな喜劇がつくられていたなら、きっと最高の脇役になったような気がします。正直バラエティとは名ばかりのおふざけ番組では、この三人の個性は活かせないと思うんですよねぇ。
やるんだったら、もっと本格的なバラエティね。音楽をもっと有機的に使ったような番組。でもたぶんつくれる人はいないでしょうし。
せめて東宝ミュージカルがしっかりしてたらよかったんだけどね。吉本はそういうの苦手だし。ああ、もったいない。
あと友近なんか、やくざ映画の壺振りの役なんかやらせたらいいのに。でもやくざ映画自体つくられてないからそれも無理か。

とまぁこんな感じで、この三人がでてくると、なんともいえないもどかしい感情がわいてくるのです。

いや結構結構。この「謎の上から目線」こそ、如何にもこの頃のYabunira、いやyabuniramiJAPANって感じがする。
つかもし令和にこんな上から目線なことを書いて、そこそこ知名度が上がったら間違いなく袋叩きですよ。
むしろさ、こうした「お前いったい何者やねん」感が今はなさすぎるね。結局シンパシーを感じさせるのって謙虚さよりもエラソーさなんですよ。ま、難しいことではあるんだけど。




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