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星の去る音
FirstUPDATE2003.10.18
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 どんどん行きます。日記の抜粋の続き、2003年5月からスタートです。
 

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2003年5月1日
阪神は勝ちました。最近は勝つ方がふつうっぽくて、負けた日は、まぁ残念には違いないんだけど、<それはそれであり>って感じで。もちろん負けた翌日はペースを乱されるようでウザイんだけどね。これが強いチームのファンのあり方なのかな。
ずっと弱いチームを見つづけていて、でも今は強いチームを見ているわけで。そういうの、生まれて初めてだから、サマになってないのが自分でもわかるんですよ、ええ。
俺も年だから、そろそろ安心ってやつも求めだしたりしてるんだよね。それがプロ野球観戦にまで波及しているわけで。とはいえ今さら巨人を応援できるはずもなく、ダイエーはそれなりに応援しているけど、それも一種のスノビズムのような気もするし。

 
 内容はともかく、なーにが『俺も年だから』だ!何が『そろそろ安心ってやつも求めだしたりしてるんだよね』だ!!
 お前まだ30代半ばじゃねーか!(激怒)
 
 

2003年5月3日
あ、阪神は勝ってます。なんせ今や阪神は強いチームですから。てなことが10月になってもいえたらいいんだけど。

 
 

2003年5月6日
阪神勝ちました
もはや恒例。今年に入って手も足もでない負け方ってほとんどないのは本当にすごい。負けた試合でも余裕こいて負けたって試合がかなりあるしな。

 
 

2003年5月14日
阪神は中止です。米子は雨。ダイエーはウソみたいな逆転勝ち。巨人はしまらない負け方

 
 

2003年5月17日
帰宅し、阪神-巨人戦の中継にしばし没頭。文字通り白熱の試合で、シビれる場面の連続。ムーアの圧倒的な活躍は絶賛されてしかるべきものだと思う。

 
 

2003年5月18日
夜、きのうにひきつづきT-G戦。今日もきのうに負けず劣らずのナイスゲーム(勝ったからナイスゲームなんて暢気なことがいえるのだが)。
ポイントは7回表に谷中が斉藤を打ち取った場面。ツーアウト・ランナーなしだったが、次が二岡だということを考えると絶対押さえなければいけない場面だった。アリアスの同点ホームランが出た瞬間『次の巨人の攻撃がポイントになる』と即座に感じたもんでね。

 
 素人がエラソーにって感じですが、念を押しておきますがこれは当時の日記からの抜粋ですから。
 
 

2003年5月20日
阪神また勝ってしまった。なんというか、春の珍事でないことは間違いないが、しかしちょっと独走しすぎ。これで2位広島と6.5ゲーム差か・・・。

 
 

2003年5月21日
阪神が勝ったこと以外記憶欠落。

 
 

2003年5月22日
今日こそは負けるだろうとふんでいた阪神が勝ってしまった。どうなってるんザンしょ?

 
 

2003年5月24日
阪神、とうとう負ける。ここんとこ週に1回くらいしか負けてなかったので、久々にまけると何かホッと(?)する。しかし最後は高津を引っ張り出したんだから、かなり価値のある負け方といえる。まぁなんにせよ、すげぇよアンタら。

 
 

2003年5月25日
阪神があまりにも大きな勝利。今年一番の価値ある勝ちといえるのではないか?

 
 

2003年5月27日
阪神も勝ったしね。辛勝だったけど。

 
 

2003年5月29日
苦戦続きとはいえ阪神、また勝つ。本当に週一回くらいしか負けないんだもん。しかしここまで伊良部がいいとは・・・。

 
 

2003年6月3日
井川、どうしても波に乗れまへんね。打線との噛み合せがいいので勝ち星だけは上積みされているのだが、その内容たるや惨澹たるもの。少なくともエースのそれでないことは確か。しっかりしなはれしっかりし。たのんまっせたのんます。ほんまにたよりにしてまっせ。

 
 最後のは笠置シズ子の「たよりにしてまっせ」の一節ですね。この頃が一番笠置シズ子にハマってたんだったっけ。
 
 

2003年6月5日
阪神、伊良部のまたしても、の力投で、苦手中日3連戦3連勝。これで貯金21だが、なにかやっと優勝確率が50%までいった気がする。2位(巨人)と9ゲーム差あって、それでも50%。1976年以来、弱い阪神しか知らない俺には、50%という数字さえ大甘なのだが。

 
 

2003年6月7日
明日は・・・S-T戦、どうする?

 
 

2003年6月8日
(現注・安売りチケット屋には)さすがにS-T戦の当日券なし。ローソンのロッピーでみると、外野指定席は完売、自由席ならとれたのだが、この時点ですでに14時すぎだったので素直にあきらめる。
(中略)
阪神負けはしたが、生で久保田のピッチング、観たかったなぁ!

 
 結局この年は日本シリーズを除いて阪神の試合は球場では観てないんだけど、一応は行こうとはしてたみたいね。
 
 

2003年6月11日
阪神が勝ったのはいいが、巨人があれではペナントが盛り上がらないではないか。ナベツネが勇退するらしいが、巨人の補強は自軍の戦力アップではなく、他軍の戦力アップ阻止にあることに気付く。まぁそういう思想はナベツネひとりの考えでないとは思うがね。それにしてもそのために30億ですか。中村ノリには冷静な判断ができたのに、なぜペタにはできなかったんでしょうか?もっともノリが阪神に入ってもたいして戦力にならんとふんだだけだろうが。(それだけは大正解でした。それだけは)
ナベツネも巨人を強くするという考えは結構だが、他球団を弱くして、その結果巨人が一番ならいいじゃねぇか、という考えは是非是正してほしい。それ今後もやり続けたら絶対プロ野球は破錠するよ。

 
 本当はこの前に長々とファミスタのハックロムのことを書いてます。
 この時作ったIPSパッチファイル、まだあったかな?(あったからスクショ貼っておいた)
 
 

2003年6月12日
阪神。試合なし。

 
 

2003年6月13日
阪神、負けたことなどどうでもいい。そんなことより浜中が・・・。あ~、しかし皮肉としかいいようがない。とにかく変わりの4番を決めなくては。こうなった以上、八木に無理ジイはさせられないし、桧山ということになりそうだ。個人的にはアリアスかなぁと思うのだが。

 
 やっぱ、濱中(当時は浜中名義)が怪我しなかった世界線を見てみたかったな。今の大山くらいにはなれたのか、現実とそう変わらなかったのか。
 
 

2003年6月14日
T-G戦は雨天中止。(中略)
うるぐすで江川のドキュメンタリーをやっていた。つい最近この事件について考えていたので自分的にはタイムリー。
冷静に考えると悪いのは<おとな>側(巨人と黒幕になったと思われる某政治家)で、江川自身もそりゃよかないけど、せいぜい<若気の至り>とか<おいた>といった言葉で片付けられる程度のもんだったとつくづく思う。実際23歳くらいならみんなもっとあくどいことやってるよなぁ(俺を含めて)。まして若くして<天才>だの<怪物>だの呼ばれていたようなヤツならイワズモガナではないか。
でもこれをテコにしてプロ野球人気をあおったマスコミとコミッショナーはえらいなぁ。コミッショナー側にも『これで巨人と阪神の間に遺恨が残って盛り上がる』という計算が多少なりともあったと思う。事実、この事件を境に、「アンチ巨人」「アンチ江川」といった形で阪神ファンが<ひとつの型>になった気もするし。もしこの事件がなければもっと早くプロ野球の人気も落ちていたかもしれない。
今のコミッショナーやパ側にはこんなあざとい考えすらもないんでしょうなぁ。
明日続きがあるそうなので。VTRあけの江川の顔はかなりすごくて笑ったが。

 
 阪神はあんまり関係ないのですが、リアルタイムの感想としてはかなり鋭いので、ほぼ全部掲載してみました。
 
 

2003年6月15日
一日お部屋モード。ダイエーVS近鉄戦他ダラダラテレビをみてすごす。
夕方からはもちろんT-G戦。間違いなく今シーズンのベストゲーム。<剛の木佐貫><柔の下柳>という形容がピタリとはまる両投手の熱投ぶり(顔だけみれば真逆だが)。下柳の後をうけた安藤も今年一番のピッチングでこたえ、延長に入ると今日の先発予想もあった久保田をもってきた。
久保田、なんかひさびさにピッチャーらしいピッチャーがでてきたという感じ。木佐貫といい意味でライバル心をもってはりあってほしい。
最後は揉(現注・片岡篤史のこと)のサヨナラヒットで決着。K(現注・会社の後輩)も試合終了直後に文章メチャクチャなメールをいれてくる(この試合を観にいっていた由。うらやましすぎ!)。
俺も興奮して、やっぱりEに電話。ここんとこ阪神の劇勝後しか電話していない(苦笑)。
うるぐすで昨日のつづき。

 
 この試合のことはすごく憶えています。
 片岡の最後の当たり、センターの鈴木尚広がえげつない勢いで追いかけてきて、一瞬捕られるかと思ったんだよね、てなことをEと電話で喋ったことまで憶えている。
 
 

2003年6月18日
会社でかなり鬱になったが、0時すぎ突然Eから電話が入る。もう野球の話が誰かとしたくて仕方がないのだろう。その気持ち、痛いほどわかる。福岡じゃあ、ねぇ。

 
 マジで3日に1回くらいEと電話してるな。それもほぼほぼ阪神の話だけで。熱愛カップルでもこれだけ電話せんやろ。
 
 

2003年6月21日
G-T戦。8回の怒涛の攻撃で完全に<メークドラマ>を撃沈した。これで巨人が優勝するにはよほどドラマチックな<なにか>がおこらない限り不可能ではないか。仮に阪神がおちても巨人がひっくり返すことができるかといえば・・・。

 
 

2003年6月22日
T-G第2ラウンドは序盤の5点を下柳~久保田~ウイリアムスで守りきる。それにしても久保田のクソ度胸には恐れ入る。あの場面で清原に対してあのボールを放れるんやもんなぁ。
きのうの長嶋、今日の江川と小川アナ、痛々しかったな。なんかかわいそうに思えてきた。
しっかしスポーツニュースで<阪神のいきおいがとまらない>とかきくと腹が立ってくる。今の阪神、別にいきおいなんかないって!ただ単純に強いだけやって!アホちゃうか。これは松坂やイチローに対してもいえることで。

 
 ちょっと阪神が勝ち出すと「勢いが」云々と言いたがるアナウンサーはいまだにいますね。とくに日テレ系のアナが。
 なのに巨人には言わない。巨人が勝つのは実力で、阪神は勢いがないと勝てないと存外に言ってるのか。ま、いいけど。
 
 

2003年6月24日
阪神戦は中止。というか雨天コールド。まぁ先発が藪クンだったので幸運だったんでしょう。

 
 

2003年7月5日
この日は今岡が芸術的な(といっていいのか本当に)プッシュバントでチームを勝利に導いた日だったので、話も自然にもりあがり結局2時間しゃべる。(現注・主語がないのでアレだけど、Eと電話で、ということです)
Eの『福岡の人間と僕等では<熱狂的>の意味が違う』という説、面白し。

 
 

2003年7月8日
とうとう阪神にマジック点灯。セ・リーグ史上最速。マジックナンバーが一般的に使われるようになってから(昭和45年前後らしい)はダントツで両リーグ最速らしい。
どうせしばらくはついたり消えたりするだろうし、なんせ<49>なんて途方もない数字だからまったく実感はないが、よほどのことがない限り間違いないだろう、と思うよ。

 
 いやいや、マジックナンバー最速は毎年開幕前に尼崎中央三番街商店街で出てますが何か?

♪ タイガー タイガー め、で、タ、イ、ガ~

 ↑何でこんなの憶えてるかって?そンりゃ、おンめェ・・・。
 
 

2003年7月20日
一度新宿に出た後、神保町によってから(中略)、海浜幕張駅まで行く。千葉マリンスタジアムの千葉ロッテVS福岡ダイエー戦観戦のため。
駅から球場まで微妙に遠いのが心地いい。あのわくわく感が蘇る。
(中略)
球場前のモニターで1980年のプロ野球ニュース(もちろんロッテ戦。もちろんロッテが勝った試合)を流しており、メチャクチャ懐かしい。
一番驚いたのが、まだ当時素材にVTRではなく一部試合ではフィルムを使っていたことで、さらに一部のシーンがスローモーションになるのがいい。
中に入ってみると、福岡ドームや東京ドームのような、もっと小ぎれいで上品なものを想像していたのだが、さにあらず、結構小ぎたなく、意外といい雰囲気。(中略)
途中からやたら阪神の経過が気になりだしたが、これもなんとかサヨナラ勝ちでよござんした。

 
 途中、試合と球場の感想をいろいろ書いてますが、阪神と、というか星野と関係がなさすぎるので割愛します。
 
 んで、ここから間が開きます。
 これはアクシデントで2003年8月の日記データが消えたためです。他意は無いのであしからず。マグヌスマグヌス!なんか嫌な人ばっかりだ。
 

2003年9月3日
阪神のマジックがついに<7>になった。しかしこれで甲子園での胴上げは絶望的になってしまった。もちろんうまい具合に負けを重ねればいいのだが、今日も明らかに<捨てにいった>ゲームに勝ってしまうし。難しいもんだ。

 
 お、ついにマジックもひと桁ですか。って先述の事情でだいぶ時間が経ってるけど。
 
 

2003年9月5日
阪神、うっかり勝っちまって、あーあ、何やってんだかと思っていたのだが、あれだけ矢野にうれしそうな顔されると、やっぱりこっちだってうれしくなってしまうわけで。
でもマジック6ですよ。まだ次の甲子園まで8試合もあるってのに。いったいどうやって帳尻合わすおつもりですか星野監督さんよぉ!(剛たつひと風に)

 
 

2003年9月7日
阪神、また勝ってしまう。M5か。ヤバいよなぁ。
1時前になってEよりTEL。内容はいつもの通りだが、これだけ野球の話をするのも今年限りかもな。

 
 『今年限りかもな』と書いてますが、実際そうなりました。
 今もEとは野球の話はするけど、頻度はものすごく少ない。他の話が95、野球の話が5、くらいの頻度です。
 
 

2003年9月9日
(前略)
阪神のXデーもまた近付いてしまった。<本体>は負けたのだが、マジック対象の広島も負けたため、ついにM4になる。これでいよいよ甲子園での胴上げが厳しくなった。
テレビでも雑誌でも<どこよりも早い優勝までの軌跡>と題した特集が組まれている。右へ倣え状態のクセに、どこが<どこよりも早い>ねん!ちゅー話で。

 
 

2003年9月10日
阪神必死のリレーで見事サヨナラ負け。負けてバンザイなどたぶん野球を見始めて初めてのことだろうし、これからもないかもしれない。
ナゴヤドームより神宮の方がマシなのだが、神宮で決められると瞬間が観れない。とにかく土曜までひっぱってくれれば、せめて中継が観れる。あわよくば甲子園(15日)までひっぱれるかもしれない。ということで全力で阪神を(負けるように)応援していたのが、たしかに阪神は負けたが、その分広島も負けてくれちゃって、おかげでマジックは3でし。さてさてどうなりますことやら。
今日ついにスカパー申し込む。遅すぎやん。でもこれだけは引っ越す前にやっとかなきゃいけなかったからね。

 
 最後、何やってんだ。優勝決まる寸前にスカパー申し込むならシーズン中から申し込んどけや!そしたらもうちょっと試合も見れたのに。アホやろ。
 
 

2003年9月11日
夜、Eに電話。またしても3時間程しゃべる。
ヤクルト戦に限って<アンチ阪神>に徹したわけだが、要は『いかに阪神と戦うチームを応援する』という逆転現象になれていないかを話す。

 
 

2003年9月13日
いまだ阪神の優勝きまらず。なんのかんのいいながらナゴヤドームで決まるんやろな、との予想も覆され、待望の甲子園での胴上げになりそうな気配。最高の結末なのだが、やはりどこかじさられている感覚がある。
で、今日。まず早大・鳥谷の阪神入りが確実に、との報道が出まわる。デイリーはともかく、サンスポ・ニッカン、そして報知まで記事にしたのだから、本当に確定したのだろう。ありがたい話だが、藤本の心境、いったいいかほどのものか、まさに心中お察する。
さっき書いた通り、優勝はおあずけになったわけだが、フジ、なめとんか。明日TBSは中継予定だが(しかし試合終了→胴上げは絶対ないので、本当に中継されるかは微妙)これだけ関東でももりあがっているのに、地方だけの現象みたいな捉え方しかしないキー局は莫迦としか思えない。

 
 そうか、このタイミングで鳥谷が決まったのか。もうええやろ鳥谷。正直に言えや。流されましたって。
 
 

2003年9月14日
もうどうしても触れておかなければならない、猛虎軍の話から。
負けるのはいい。しかしヤクルトが勝つんは、いくらなんでも違うやろと。
そういう趣旨の携帯のメールをEに送ると折り返しかかってくる。そしてほとんど巨人戦を一緒に観戦する感覚で試合終了まで話す。いや正確には終了後も1時間程しゃべったが。
生まれて初めて(?)巨人を心から応援するが、ホンマに脆いチームやわここ。
あーあ、これで明日、試合終了と同時に胴上げはなくなったわけか。

 
 

2003年9月15日
祝!祝!祝祝祝祝!!!!!!とにかく祝なんですよ。祝・阪神タイガース2003年度セ・リーグ優勝!
なんどEと電話したことか。ええかげんにせぇよ!いうぐらい。
なんにせよ阪神三昧の一日でしたが、このことに関してはまたキチンと書く。今の僕なりの、いい文章を残しておきたい。だから日記ではやめておきます。夜も遅いし。
まぁ文章に残すっていっても、あくまでパブリックなもので、極私的には別なわけで。
煩雑にならないように箇条書きで今の俺の状況を記しておこうかと。

2003年9月15日現在
・東京都中央区在住
・株式会社△△制作部デザイン室室長。但し1ヶ月後に退社が決定している
・彼女なし歴もうすぐ1年
・ここんとこずっとハマっているもの=PDA、笠置シズ子、山口瞳
・極最近ハマっているもの=川畑文子、前田陽一、初芝(千葉ロッテ)
・パソコン=なし(一応4400というボロMacあり、会社ではPowerMacG4)+hpジョルナダ568
・好きなドリンク=DAKARA(サントリー)
・携帯電話=SO505i+PinFree1P(CFタイプPHS)
・タバコ=ハイライト(270円)


こんなもんですかね。
こんな状況の中で阪神は優勝したんですよ。
18年前、今の俺を想像できるわけないように次の優勝の時の俺の状態など(仮に1年後だとしても)やっぱ想像できない、んだよねぇ。


 『このことに関してはまたキチンと書く。今の僕なりの、いい文章を残しておきたい。だから日記ではやめておきます』
 はい、残しましたよ。ちゃんとしたものかはわからないけど。

 さぁ、2003年、我が阪神タイガースは目出度く18年ぶりのセントラルリーグ優勝を決めたわけですが、このエントリはここからが本番です。
 エントリタイトルを見てくださいよ。そう、別にわざと排除したわけではなく、たった1箇所を除いて、ここまで奇妙なほど、日記上で「あの人」の名前が出てきてないんです。
間違いなく阪神優勝の最大の立役者であり、いまだにその亡霊に縛られている阪神ファンも多い、 その人は・・・。

 てなわけでPage3に続きます。